白井先生は、

私たちが資料に目を通すのを待って、

 

「昭和二十三年(一九四八)京都でジフテリアの予防接種による、

集団事故があったことはご存知ですか?」

 

 

「いいえ知りません。そんなことがあったのですか? 

その資料は私たちにも入手できるでしょうか。

どこに行ったら分かるでしょうか」と、私たちは立て続けに聞いた。

 

「京都の府立図書館にあると思います」

 

先生から聞いた新しい情報に、

私たちは喜びを隠し切れなかった。

 

「これからも出来る限り力になりますから……。

体を壊さないように」

との先生のやさしい言葉に送られて、病院を後にした。

 

外はもう日が落ちて、

行き交う人の波が忙しく揺れていた。そんな中を、

私たちも最終の飛行機に乗るために急いだ。

 

飛行機の座席に肩を並べて

「無理をして東京まで白井先生に会いにきてよかった」と、

二人で喜びを噛みしめた。

 

その日は、八月に入ったばかりでうだるような暑さ。

東京の街のコンクリートには陽炎が踊っていた。

 

ボンヤリしていたら、雑踏の中に呑み込まれてしまいそうである。

地下鉄を降りるとタクシーで、

約束の五時過ぎに東京都立豊島病院に着いた。

 

病院は時間外で少し照明が落とされており、

薄暗い廊下に私たちの靴音が響いた。

 

 

守衛所で聞いた先生の部屋の前に着くと、

二人とも額の汗を拭いてドアをノックした。

 

「どうぞ」と、細身の白井先生は椅子から立ち上がって迎えてくれた。

「すぐ分りましたか、疲れたでしょう」

 

「五実さんの容態はいかがですか。

大変ですね。送ってもらった書類で、五実さんの病気について検討してみました。

結論から申せばワクチンとの因果関係は否定されないと思いました」

 

先生の言葉に私たちは思わず頭を下げた。

 

「お役に立つかどうか分りませんが、これは外国の文献を翻訳したものです」

 

 

 

先生はテーブルの上の書類を、私たちの方に向けて説明された。

 

西ドイツ

※論文【ポリオ生ワクチンによって多発性硬化症は発生するか】

※論文【ジフテリア予防注射またはジフテリアトキソイドを含む混合予防接種による神経合症について】 

[多発性硬化症]の略語がMSであること。

専門用語が何を言っているのか、

略語はなにを指すのかが少しずつ分ってきた。

 

 

[多発性硬化症]の発症と原因の項目には、

誘因として

 

①特発性 

②感染後 

➂ワクチン接種後 

 

と、三つが挙げられていた。

 

また、[脱髄疾患]の鑑別診断として、

神経症状の前に「ウイルス感染」

とくに「発疹疾患」あるいは「ワクチン接種」

があったかを確かめるとも書かれている。

 

部長回診での「予防接種をしていなかったか」の医師の発言は、このようなことに基づいたものと思われる。

 

東京の白井先生から返事が届いた。会って詳しく聞きたいという内容である。

夫と私は日を置かないで東京に飛行機で発った。