暁人の不死鳥のごとく舞え -43ページ目

震災復興への想いを乗せて

一昨日で東日本大震災から一年七ヶ月となりました。

僕は今週から再び東北巡演に入りまして、

福島、宮城、青森、岩手とまわってきました。

特に岩手では、盛岡から岩泉へと入り、

そこから海沿いに抜けて、

田老町、宮古を通って山田町へと。

一年振りの三陸は感慨深いものがありました。

田老町はまだ瓦礫も残っていて、

堤防だけが寂しげに、

でも、宮古辺りは復興も進んできて、

砂浜も少し見えました。

去年は海岸線は瓦礫しかなかったから、

「砂浜見えるようになったんだぁ」とちょっぴり感動しました。

そして、山田町では虹が出ていました。
昨年は、大槌町などでも上演してますので、

今日はそんな様々な想いも込めて上演に臨みました。

最後にネバーランドから旅立つシーンでは、
これから先の復興した三陸の未来を想い描いていました。

まだまだ、来月まで東北をまわっていきますので、

元気と希望をキャラバンに乗せて、

人形や仲間と共に頑張っていきたいと思います。

人と人との繋がりを求めて

今朝も早いので、ローソンでひげおじさんのパスタを食べました。

僕がひげおじさんのパスタを食べるのは、

テーマソングを歌う宮崎奈穂子さんを応援するためです。

宮崎奈穂子さんと言えば、

武道館ライブまで後1ヶ月を切りました。

彼女に出会ったのは、僕がまだ声優の養成所に通っていた頃、

奈穂子さんは、まだ大学生で、

デビュー曲の「優しい青」を少し涙を流しながら歌う普通の女の子といった印象でした。

僕は当時弁当屋でバイトしていて、

最寄り駅だという事もあり、

よく彼女を見かけて、立ち止まって歌を聴いていました。

彼女の歌は、張りつめた心をほぐして、涙を流す人も多い。

そんな宮崎奈穂子さんも路上から武道館へと。

思えば、僕の始まりも池袋の路上だった。

芝居を初めて、初の舞台、

右も左もわからない僕は、おそれ多くも東京芸術劇場の前で稽古してました。

ひどい芝居で周りの人はほとんど見向きもしなかったけど、
路上生活者と思われるおっちゃんが声をかけてくれて、

千円渡して「これチケット代、観にはいかないけど、あんた応援するよ」と言ってくれました。

そして、一言「いいか、どんな時でも、常に人に観られているという事を忘れるなよ」と添えてくれました。

それから時は流れて僕は前進座へと。

国立劇場にこそ立たなかったものの、

端役とはいえ幸田露伴の「五重塔」で浅草公会堂の舞台にも立ちました。

そのままいけば、路上から国立劇場へという事も実現していたかもしれません。
でも、僕は、今、子どもたちの笑顔を観て思います。

「自分の選んだ道は間違っていなかった」と。

大きな劇場ではお客さんの顔が見えません。

でも、巡回人形劇だと目の前で子どもたちが喜んでいる姿が見られて一緒に楽しめるんです。

だから、僕にとっては、そこが国立劇場であり武道館なんだと思います。

宮崎奈穂子さんも武道館ライブが決定してからも、

毎日、重たい機材を抱えて、全国の路上で一生懸命歌ってますので、

僕も僕の小さな武道館で毎日頑張っていきたいと思います。
以上、僕の「路上から保育園、幼稚園へ」でした。

アウトドアを楽しむ

気がつけば、またブログ更新してないですね。

東北から帰ってきたのも束の間、静岡行ったり、長野行ったりと忙しい日々を過ごしておりました。
夏に小金井の方に引越しましたので、

東京にいる時の休日は、

多摩湖までサイクリングしたり、電車で相模湖へ行きハイキングしたりと、

自然に触れる機会が増えました。

なんかもう都会には戻りたくない感じ。相模湖の辺りは、

温泉も多くて、とてものんびり出来ました。

休日でリフレッシュして、また、新たな気持ちで日々の上演も頑張っていきたいです。