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慈愛

 

 

慈愛とは、親が子に対するように

 

その存在を認めて、優しく大切にする深い愛情のことだそうです。

 

 

例えば、子供が悪いことをしたとしても

 

頭ごなしに怒って責めて、突き放すのではなく

 

その心情や理由をちゃんと聞いて理解して

 

未熟だっただけだよね、悪いことだって知らなかったからだよねと

 

寄り添って許すことが慈愛ではないでしょうか。

 

 

この慈愛が、子供に対してだけでなく

 

大人同士でも、他人同士でも出来たら

 

傷つけ合いも、争いもなくなるのではないでしょうか。

 

 

例えば、職場に意地悪な人が居たとして

 

意地悪なことをされて嫌だけど

 

どうして意地悪をするのか理由を探ると

 

家庭の問題を抱えていたとか

 

自分の築いてきた立場を奪われるのを恐れていたとか

 

過去に自分も意地悪されてきたという傷とか

 

人間的に未熟で悪いことだと分かっていないだとか

 

何かしらの理由があるものです。

 

 

勿論、だからと言って意地悪をしてもいいとはなりませんが

 

その人をただ嫌って、憎んで、恨むということから

 

理由を知ったら少しは自分の心が和らぐのではないでしょうか。

 

 

傷付いていただけ、怖がってただけ、無恥なだけ。

 

その弱さや、未熟さは

 

子供だけでなくどんな大人も多かれ少なかれ持っているものです。

 

 

小さな子供に対してなら、憎んだりせずに

 

その未熟さを弱さを愛おしいと愛せて

 

優しく許してあげられます。

 

 

それを、子供だけでなく大人にもしてあげられたら

 

嫌い、憎いからの争いやいざこざは

 

和らげられるのではないでしょうか。

 

 

慈愛は、弱さや過ちを包容して赦せる

 

女性性の優しさそのものではないでしょうか。

 

母性にも似ています。

 

 

弱さや未熟さゆえの、過ちや失敗を許していき

 

子の成長を見守る愛情にも思えます。

 

 

本来、子を育てて守る性質を持つ女性に

 

生まれつき備わっているものではないでしょうか。

 

 

現代の、勝ち負けの競争社会や

 

能力値(勉強、運動、容姿、コミュ力、仕事の業績など)で

 

人間の価値を測るというカースト制度の考え方が

 

この慈愛の心を封じてしまっているのではないでしょうか。

 

 

能力が高くて、何でも出来るから愛するという条件付きの愛ではなく

 

弱さや未熟さがあっても愛しいと愛するという

 

無償の本物の愛。

 

 

競争や勝ち負けにボロボロになって疲れて

 

負け側になって落ち込んでしまっている

 

現代人の大勢にこそ

 

この慈愛は必要なのではないでしょうか。

 

 

能力が高くなくても、勝たなくても

 

弱くても負けても愛される。

 

 

その優しい安心感を

 

みんな求めているのではないでしょうか。

 

 

だから、慈愛を取り戻すために

 

能力値で人の価値を測る価値観を

 

思い切って手放すことをおすすめします。

 

 

どんなに努力しても、やはり上には上がいるので

 

思い切って潔く敵わない、負けたと降参してみると

 

驚くほど心の荷が下りて楽になります。

 

 

もう、勝つために争わなくていい。

 

負けに怯えなくていい。

 

頑張って、能力値をあげようとしなくていい。

 

人を蹴落としたり、マウントを取ったりしなくていい。

 

 

競争という過酷な戦場から、降りていい。

 

 

慈愛に戻って

 

弱さや未熟さを慈しんで

 

愛しいと自分も他人も大事にすればいい。

 

 

競争して傷つけ合うのをやめて

 

お互いの弱さや過ちを許し合って

 

一緒に協力して成長していけばいい。

 

 

そんな優しい世界になることを

 

心より祈っています。

 

 

ここまで読んで下さりありがとうございました。

 

また、お会いしましょう。