皆さんいかがお過ごしでしょうか。
以前、密陽の阿娘伝説や慶南楼についてブログをあげましたが、慶南楼の東にある公園にある有名なお坊さんの銅像が建っていました。
その人は四溟大師惟政。日本とも因縁浅からぬ人ですが、どんな人かご存じでしょうか。
この方は、1544年に生まれた朝鮮時代中期の高僧で、尊称は「松雲大師」。慶尚南道密陽出身で、幼くして両親と死別し、1559年金泉直指寺で出家しました。
1592年文禄・慶長の役(朝鮮では壬辰倭乱、丁酉再乱)が勃発すると、朝廷からの呼びかけや、師僧である西山大師休静の檄文を受け、義僧兵を集めて、総指揮官として日本軍と果敢に戦いました。また加藤清正や徳川家康などと会談して講和交渉を行ったことでも有名で、当時の日本でも傑僧として評価が高かった人物です。このことが、朝鮮通信使の再開につながり、日朝国交回復の外交面でも大きな役割を果たしました。日本にとっても恩人のようなお坊さんです。
1610年に海印寺で入寂されました。
○
いかがでしたか。16世紀末には、文禄・慶長の役(朝鮮では壬辰倭乱、丁酉再乱)という悲劇的な事件がありましたが、四溟大師惟政や関係者の熱意により日朝国交が回復、その後、朝鮮通信使の派遣による平和な時代が続きました。こういうポイントになることは知っておくと、歴史を考えるヒントになったりすると思います。