国際友好の原点 朝鮮通信使歴史館 | あなたの知らない韓国 ー歴史、文化、旅ー

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 皆さんこんにちは。いかがおすごしでしょうか。

 

 以前に、大阪に残る朝鮮通信使関連の史跡を紹介したことがありますが、韓国第2の都市釜山は朝鮮通信使が日本に向けて出発した出発地でもあります。

 

 朝鮮通信使は江戸時代における日本の地域文化形成にも大きな足跡を残しました。朝鮮通信使に関する展示施設である朝鮮通信使歴史館が、釜山子城台公園隣接地にあります。(2011年開館)

 

 通信とは今の通信電信の意味ではなく、「信を通じて交流する」という意味です。朝鮮通信使は日本と朝鮮(王朝)との外交使節であり、文化交流の使節でもあったのです。

 

 

 

 

 朝鮮通信使歴史館の正面です。朝鮮通信使を象徴するように、静かに落ち着いた雰囲気のところにあります。

 

 

 

 

 入り口です。これを入ったところに展示室があります。

 

 

 

 

 入り口のところの展示です。日本各地に朝鮮通信使に由来する人形が残っており、それに関する展示が上の写真です。

 

 

 

(1階展示)

 

 

 朝鮮通信使に関する歴史の展示です。豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で朝鮮が大きく被害を受けたのはもちろんですが、東アジア全体に大きな影響を与えます。中国は朝鮮を支援した明が急激に衰退し、後金(後の清)が勢力を伸ばします。また日本も戦後、大きく社会が変化します。終結の2年後、関ヶ原の合戦が起こり、豊臣方に変わり、徳川家康が天下を掌握します。

 

 家康は国内の安定と隣国朝鮮との外交再開の重要性を認識しており、早速日朝交流再開に向けて動き出します。結局、江戸時代の間、12回も使節が派遣され、漢陽(現在のソウル)と江戸の間を往来したのです。両国に相当な財政負担を強いるものではありましたが、沿道での歓迎や相互交流の痕跡は、日本各地に残っています。

 

 

 

 

 近年の日韓双方の関係者の努力が実を結び、2017年には朝鮮通信使関連の記録類が「世界記録遺産」として搭載されました。上の写真はその認証書です。

 

 

 

 

 1階のフロア中央の床には釜山市内に残る通信使関連史跡の位置を記した航空写真がありました。位置関係がよくわかりますね。

 

 

 

 

 通信使の一行には曲芸師も同行しており、日本各地で披露されたと伝えられる馬上才の人形です。

 

 

(2階展示)

 

 2階展示室へと向かう階段です。壁には通信使一行が詠んだ詩や紀行文の一節が記されています。

 

 

 

 朝鮮通信使の一行を乗せた船と、それを警護する日本側の船が上関(山口県)で停泊している様子です。

 

 

 

 

 通信使の行列の再現です。「平和交流のため通信使の旅程をたどって」とあります。

 

 

 

 

 通信使を乗せた船の模型です。玄界灘の波濤を超え、さらに瀬戸内海を通り、大阪まではこのような船で来たのですね。

 

 

 

 

 2階展示室の全景です。ここはいつでも日韓友好を大事にしようとする雰囲気でいっぱいです。

 

 

 

 

 上の建物は歴史館の隣に移築された永嘉台という釜山の名所の一つです。通信使の出発点を見下ろす丘の上にあった建物で、一行は出発前に航海の安全を祈る海神祭を行ったそうです。本来は少し離れたところにあったそうですが、鉄道路線敷設の関係でこの場所に移築されたそうです。

 

 釜山から船で帰国することがあれば、ここで安全祈願してみるのはいかがでしょうか。

 

 

 隣国との友好の原点とも言える朝鮮通信使。我々ももう一度振り返ってみる必要があるのと思います。

 

 

 

 

所在地

釜山市東区汎一同380-4番地 子城台公園内
부산시동구범일동380-4번지 자성대공원내