長兄① | 難治性慢性疼痛の毎日(線維筋痛症と複合性局所疼痛症候群)Byアキ

難治性慢性疼痛の毎日(線維筋痛症と複合性局所疼痛症候群)Byアキ

2012年、線維筋痛症と複合性局所疼痛症候群を発症、それよりも前にデパス&ソラナックス&ロヒプノールを服用していた。病気発症に心当たりがないためこれら症状はベンゾ薬害だと私は断定。2019年、旦那と死別

先日、いきなり父親から電話がかかってきた。



いつもは殆どメールで済ます父親なのに電話かけてくるなんて超珍しいと思い、何かあったかなと思いながら迷いなく電話に出た。



父親『おぉ、アッコか。お父さんよ。電話くれた?』



私はなんのことか分からず



私『いいや、(電話)かけてないよ?』



父親『そうか…いや、着信があったと思ってねぇ』



私は『父親もとうとうボケたか?』と思い、そのまま会話を続けてみることに。



最近機種変したらしい父親は、新しいスマホの使い方にまだ慣れてないようだった。



だから何か勘違いしたのかな?



機種変してメアドも変えたという連絡が着たのが確か1ヶ月前くらいのこと。



その時に短時間だけ父親と電話で話した。



その履歴でも残ってて、それで勘違いしたのかな?



父親の勘違いと分かり話題は別のことへ。



私『そういえば他の兄弟(男3人)は元気なのかね?』



すると父親、長兄以外のことには全く触れず



『長兄と連絡がとれん。電話番号やメアドが変わったということはないんだけど、幾ら連絡しても折り返しもない。かれこれ一年半くらいそうだ』



キョロキョロキョロキョロキョロキョロ



我が家の長兄はとても風変わりというかなんというか、イマイチ私とは気が合わなかった。



絵がめちゃくちゃ上手かったしプラモデルや音楽好きなので芸術家タイプなんかなぁ。



最後に会った際、あれはいつの正月だったか、その時も、実家にいてリラックスしてるんだから化粧なんてしなくてもと思っていたら



長兄『おまえ、せめて眉だけでも描けよ』



と何度もしつこく言ってきたのを覚えてる。



それが最後の会話だったw



それと、長兄との思い出で思い出すだけでもムカつくのが、亡き夫と結婚が決まり家族皆んなで顔合わせした際



長兄『本当にこんな妹でいいんですか?引き返すなら今ですよ』



と、亡き夫にしつこく言っていた。



お互い酔ってるとはいえせっかくのめでたい席なのに、コイツは何を言い出すんだと思い、私は



私『もういいから黙れ』



と制したものだった。



そういうのもあって、気が合わないというか、他の兄弟と比べると、どちらかと言うと嫌いだった。



そんな長兄…。



ちょっと不満ちょっと不満ちょっと不満



連絡がとれないと嘆く父親のためにひと肌脱いでやろうと、長兄に連絡してみることを私が請け負った。



そこでハタと気付いた。そういえば私ったら長兄の連絡先を知らんではないか!



他の2人の兄弟の連絡先は知っている。かといって、こちらから連絡することなどなければ、向こうから何か連絡くることもまずない。



我が実家はめちゃくちゃ疎遠だな。社会人になってからも仲良しな兄弟又は親子はたくさんいるのにね。



まぁ無理もない。兄弟全員がてんでバラバラなところに住んでいる。



地元に残ってるのは長兄のみという…。



それもあって、父親は長兄のことを気にかけている。近くに住んでいるのが分かっているからだ。



他は物理的に無理なのでどうしようもない。特に私は一番遠い。



兎にも角にも父親から長兄の連絡先を聞いて連絡してみることにした。



電話かけてもメール送ってもナシのつぶてという長兄。



果たして連絡つくのだろうか?



長くなったので次回に続く。