エースと4番なきあとはどうなるのか?いまはルーシーさんと澄田さんがオフィシャルなんですね このメンバーでの作品、シナロケの新譜が楽しみです ルシロケか 
 

ROOFTOP様引用ご容赦 


ーーシーナ&ロケッツを続ける上で、鮎川さんの後任ギタリストとして澄田健さんが選ばれました。これはどなたの意向だったんですか。

ーーLUCY:実はお父さんなんです。年末にお父さんが病院で検査をしたら、『New Year Rock Festival』の開催直前なのにドクター・ストップがかかって入院することになってしまったんです。「ステージで亡くなる可能性が高いから」って。だけど入院となるとコロナ禍で面会謝絶だし、私たち家族はお父さんともう二度と会えなくなってしまうんじゃないかともの凄く不安になりまして。それが12月27日頃の話で、お父さんが「『New Year Rock Festival』にはどうしても出たい、これは何があっても出なきゃいけないライブだから」と病院の先生に退院をお願いしたんです。

ーー純子:実際、シーナ&ロケッツを結成してから『New Year Rock Festival』には一度も休むことなく連続出演してきましたからね。結局、お父さんが入院したのは2日だけで、病院の先生が理解のある方で、自宅で看病できるように手配を整えてくださって。それで、『New Year Rock Festival』の最中に万が一倒れてもライブを続けられるように、誰かサポートでギタリストがいれば少しは負担が減るのではないかと思ってお父さんに訊いてみたんです。「サポート・ギタリストを入れるとしたら誰に頼む?」って。

ーーLUCY:そしたら「澄田なら弾けるやろ」って。確かに澄田さんはシナロケや“Play The SONHOUSE”をいつも観に来てくれてたし、お父さんの良き理解者なんです。「鮎川さんのここが凄い」とプレイの素晴らしさを熱弁してくれる方で。

 


ーーしかも、鮎川さんがメインで使用していた“ブラック・ビューティー”(レスポール・カスタム)を澄田さんが弾くというのが実に大胆だなと感じたのですが…。

ーーLUCY:あのギターを使ってもらうようになったのは、8月の九州でのライブからなんですけどね。

ーー純子:決して譲り渡したわけではないし、もともと弾いてもらうつもりも全然なかったんです。5月の追悼ライブのときも使ってませんでしたし。お父さんの部屋にずっと置きっぱなしだったんです。

ーーLUCY:でも、ずっと使われないままのレスポールがだんだん可哀想になってきて。お父さんのレスポールは労働者みたいというか、50年以上ものあいだ過酷な労働に耐えてきたギターだから、ツアーにも出られずに部屋に置き去りになっていたのが何だか不憫に思えてきたんです。

ーー純子:九州ツアーの前日、下北のスタジオでリハーサルをしていたとき、最後の5分くらいになってなぜか衝動に駆られた私がレスポールを取りに帰ったんですよ。その場の一員として、別に弾かなくてもいいから連れてきたい気持ちになったんです。それでスタジオにレスポールを持ち込んでケースを開けて、澄田さんがアンプに繋いで音を出したら空気が激変しまして。その場にいた全員がその変化に気づいて、ブワーッと鳥肌が立って…。

ーーLUCY:大事な形見の品だし、お父さんの分身みたいなギターだし、私たちももともと誰かに弾いてもらうつもりはなかったけど、あのギターが「弾いてくれ!」と叫ぶのを止められなかったんですよ。

 

このルーシーさんの ”お父さんのレスポールは労働者” ”過酷な労働” のくだりんとこ読んでて食ってた飯吹き出した

 

たぶんあの黒レスポールも ”嗚呼、おれもやり遂げたな、、疲れた、、禿げたし、、” とかいってフッと笑って静かに白く燃え尽きてたところに、もう誰にも弾かせないわゆっくりしてねとかいってた若いねーちゃんに突然やっぱり可哀そうだし!とかいって連れ出されて、え?えーー?!みたいな。それは「弾いてくれ!」という叫びだったのか それとも「いや、ちょ、ま、ちょ、」叫ぶ間もなくシールドをブスッとさされ「ヒーッ!いや、もう、あの、ぼくも、ぼくも、もう休みたいっス!」という叫びだったのか、、笑