自己愛傾向の人の人間関係  「依存」 | マタのブログ

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サッカー・・・やら親爺の独り言

何かを勉強したり、ものを考えることが楽しいです。

 

父もそうだったし、父の兄や妹たちや弟も

そうだったので、おそらくたまたま同じDNAが

それぞれの身体の中にあるのでしょう。

 

 

 

若い頃から勉強しているライフワークのようなお題が

色々ありますが、その中の一つが性格異常です。

 

明らかに「毒親育ち」であったし、実際に

中学生になったあたりから自分のゆがみを自覚し

その時々で、それまでの体験を元に色々調べてきました。

 

 

 

 

 

我々の地域は古くからの農村地帯です。

 

人々は日常的に、外に出て畑仕事をしているので

ほとんどプライバシーのないような地域です。

 

 

 

 

 

「お前んとこは、ナスビ一本取るのにも夫婦一緒やな」

と、からかわれるようなタイプがけっこういます。

 

「夫婦、仲良くていいな」というニュアンスではなく

「どこに行くにも、一緒かいな」という揶揄です。

 

 

 

私から見ても、おそらくは双方が毒親育ち同士なのか

共依存とは言わないまでも、その傾向なんだろうなあ

というように見えてしまいます。

 

 

 

 

 

小中学生くらいまでは、「いつも二人でべったり一緒」

という友達関係がよく見られます。

これは、仲がいいと言えばそうなのですが

基本的には「利害の一致」による一種の依存だろうと。

 

 

 

心が発達するにしたがい、こうした「べったり」が

少しづつ緩んでいくのが通常の心の発達なんでしょうが

毒親育ちの自己愛傾向の者同士の場合は

大人になっても「べったり」がやめられないようです。

 

人格障害や発達障害の本質は心が未発達で

子供のようである、、ということなので

それはそれでそうなんだ、ということになります。

 

 

 
(参照)

 

 

 

本質的には「利害関係の一致」によるべったりであって

「あの二人は親友だ」という関係ではないでしょう。

似た関係は「やめられない不倫の二人」でしょうね。

 

昭和の言葉で言えば「くされ縁」です。

 

 

 

 

 

愛情が感じられない夫婦関係は珍しくもないですが

「性交相手の確保」という利害関係の一致で

夫婦として続き、さらに子供ができると

「経済的に、子供を育てなければならない」という

利害関係も生じるので、互いの依存は増してしまいます。

 

 

 

 

 

ただ、こうした利害関係の一致による密接な関係でも

その間に、人間的な心の通じ合いが生じることはあります。

 

相手が本気で自分のことを想っていたことに気づいたり

共に難局を乗り越えたりした時に感謝の念が湧いたり

「たとえ自分が損をするとしても相手の役に立ちたい」

と、真の友情が湧いてくることもあるかと思います。

 

 

 

 

 

基本的には、自己愛傾向の人はあらゆる人間関係が

利害関係で成り立っていたりします。

 

親子関係でも兄弟関係でも、よくよく見てみれば

実は利害関係でつながっているだけ、というのは

珍しくもないと思われます。

 

 

 

運よく、そこに友情とか愛情が生まれればよいのですが

実はそんなものはなくて都合がいいだけなのに

当人たちは「これが愛情だ」と思いたい場合の方が多そうです。

 

本当に困っている時にそっと寄り添ってくれる人であれば

きっと心が通じているんだろうと思います。