光陰矢の如し・・・ | マタのブログ

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サッカー・・・やら親爺の独り言

夏になるとたまに観たくなる邦画があった。

 

 

稲村ジェーン。

 

 

 

その中で、鎌倉山の謎の中国人が言ったこの言葉が

妙に心に残ったものだ。

 

 

 

時が過ぎるのは矢のように早い、という意もあるが

万事、諸行無常の響きありという実感も大いにあり・・・

 

 

 

 

※なぜ稲村ジェーンなのか、というのは・・・

 

 

こんな時期もあった、という・・・

 

 

 

 

 

少年サッカーにどっぷり浸かり

仕事以外はほとんどどこかのグランドにいるような暮らしで

ほぼその世界の住人だったワケだが・・・・

 

 

 

指導者をしているワケではないので

最後の子供以降のことはよく分からない。

 

 

よく見知った世界のつもりだったのに

気が付けば周りは知らない選手だらけ、知らない保護者だらけ・・・

 

 

その時に感じる実感が

超高齢者が感じているという寂しさのようなものだろうなあ、と。

 

 

 

 

畑の隣りの田んぼでは去年から耕作するのをやめてしまった。

 

が、田んぼの主は今でも毎日のように田んぼに来る。

草取りをしていることが多い。

 

 

 

老人だ。満92歳。超高齢者。

 

 

 

 

たまに言葉を交わす。

 

 

 

「お前のオヤジは丈夫いヤツやったなあ。死んだか。」

(この辺りの老人の発音では、シが高音でンダが低音)

 

「もう、同級生は一人しか残っとらん。みんな死んだ。」

 

 

 

 

自分たちも、もし長生きをしてだんだん誰もいなくなったら

同じようになるんだろうと思う。

 

 

サッカーを見に行って、誰も知ってる人間がいなかったら

その時の気分はきっとこんなのと同じなんだろうと思う。

 

 

 

 

ただ、もしそこに知ってる人間がいたら・・・・

 

多分、とてもありがたい気分になるだろうと思う。

しあわせとはこういうことか、と。

 

 

 

時間は、一定の速度で動き続ける「動く歩道」のように

無情に過ぎてゆく。また、過ぎてみれば矢のごとくに早くゆく。

 

こんなようなことを実感して初めて

例えば「一期一会」という言葉の本意、境地に近づいたりする。

 

 

 

 

金足農業の健闘に感動しながら

戻った酷暑にグッタリしながら

買春したことがなぜ分かったんだろうと思いながら

明日の弁当のオカズは何にしようと思いながら

 

まあ、目の前のことにおだやかにベストを尽くす、てのが

自分たちにはやっぱりいいのかなあ、などと思っています。

 

 

煩悩に満ちている時もあれば

安寧で平安な時もある。

 

歳なりだろね。