みなさん、こんにちは。
すっかり春の陽気ですね
いつも読んで下さり、有難うございます。
イイネやコメントも、励みにしています
父の命日
今日4月14日は、父の命日です。
2004年4月14日に、61歳で亡くなりました。
前立腺がんでした。
お昼に近くの神社に行き、父の冥福をお祈りして来ました。
音が出せる環境ならば…再生しながら、読んで下さると嬉しいです。
6年前に「@ELISE」で購入した楽譜の、プロの模範演奏です。
(曲の再生と共に、ちょうど読み終わる長さかな?と思います)
石原裕次郎さんの『ブランデーグラス』です。
・ぷりんと楽譜でも、全く同じものを売っています。
(@ELISEの方が安いので、私は、@ELISEで買いました)
音楽の楽しさ
「音楽の楽しさ」を教えてくれたのは、父だったように思います。
父は、日本中を転勤して回る仕事(国家公務員)をしていました。
最初のうちは、私たち家族も一緒に、転勤先へと同行していましたが…進学などもあって、途中からは、父一人の単身赴任となりました。一緒に住んでいたのは、小学生の途中までです。
その後の両親は…「単身赴任という名の別居」になりました。
私が大学を卒業して就職をした年に、両親は離婚しました。
「親の務め」は、十分すぎるほど十二分に…果たしくれたと思っています
母自身も、子供の頃にピアノを習っていた事もあり、
『 音符の長さ♪. 』などを含めて、とにかく正確に弾かないと、叱られていました。
音楽教室でのレッスンの他に、母のレッスンも家ではありました。
そんな時に、
『「おとを・たのしむ」(音・楽)(=適当)で良いじゃないか』と、逃げ道も作ってくれたのは父でした。
当時の流行曲の楽譜を買ってきては、私に弾くように求めました
(母は母で、風の谷のナウシカの楽譜など、私が欲しい楽譜は、なんでも買ってくれてはいましたが…)
父が買って来た楽譜で、ハッキリと覚えているのは、
・北酒場、ルビーの指環、そして…「ブランデーグラス」です。
(五輪真弓さん、加藤登紀子さん、西田敏行さん、松崎しげるさん…などなど、たくさんあったように思います。父自身も(左手は和音とかに変えて)弾いていました。そんで歌っていました)
この「北酒場」と「ルビーの指輪」は弾いてあげたのに…
(小学校の2年生だったと記憶しています)
「ブランデーグラス」は、拒否して弾いてあげなかったのです
この「ブランデーグラスの楽譜」を、父が買って来たのは、確か私が小学校の5年生の時でした。
その後しばらくして、私は思春期に入り…
ほどなくして、両親は、
「完全な別居という名の単身赴任」になりました。
たまに会う事はあったし、手紙や電話などでのやり取りもあったけれど、
どこか余所余所しさを捨てきれないで、接してしまいました。
甘え方を忘れてしまったのだと思います
あんなにも、超パパっ子だったにも関わらず…
思春期を一緒に過ごさなかったので…
照れ隠しや反抗心、一緒に暮らしていた母への遠慮…
いろんなことが原因だったとは思いますが、
一番は、私自身が、まだまだ幼かったのだと思います
大学を出て2年余りで、私は結婚しました。
結婚後も何度かは、父と会う機会もありましたが…
それでもやはり、子供時代のようには、自然に接する事が出来ずにいました。
そんな最中の数年後のある時、
父から、「もうあまり長くはない(最期に会いたい)」との連絡が。
背も高くて、体格も良かった父は、驚くほど痩せ細っていました。
仕方のない事とはいえ、
もっともっと…大人になれていれば良かったと、今も後悔しています。
遺伝
ゲーム好きとプロ野球好きは、間違いなく父の遺伝だと思っています
ファミコン(1日1時間ルールだったな、そう言えば当時は)で一緒に遊んで貰ったことも(母に怒られた事とセットで)…一生の思い出です。
ドラクエ好きなのは、間違いなく父の影響ですよ
リズム感や音感なんかは、母よりも父の方があったと思うので…
うん
私の音感やリズム感(のなさ)は…きっと母に似たんだろうな
妙に細かくて繊細なところも…かな
「ブランデーグラス」を、この週末は、父のために弾きたいと思います
この曲は、母も好きでした。
まあ…この年代の人たちは、「みんながみんな好きな曲」だったのかもですね。
JASナントカRACさんに怒られるので…
はぐれメタルで隠しています🙈
この楽譜を『譜面通り』に弾くと、冒頭の動画の演奏になります。
(私は歌詞に合わせて…若干、弾き方を変えています。後は…もう少しだけ、強弱をマイルドにして弾いています)
この辺の曲もあわせて…弾いてみたいと思います
(著作権云々と指摘を受けないように…隠しました🙊)
懐メロが大好きで(暗い曲は特に好きです)、期間限定ポイントなどで、頻繁に買っています。
買っただけで、(一度も弾かずに)積んである楽譜も多いですが…🙉
母の命日
母が亡くなったのは、2015年1月12日(平成27年)です。
この平成27年の4月14日に、靖国神社に参拝に行きました。
『お母さんがそっちに行ったから…迷わないように案内してあげてね、もう喧嘩したらダメだよ』etc…etc…
父に、お願いしに行きました。
まあ今は…
なんやかんやと、あっちで楽しく一杯やっているのでは?と思っています
私の事を肴にして…
喪中の神社への参拝に関して:
母が亡くなって3ヶ月後に、靖国神社へ行くこと…
母方の祖父が懇意にしていた、護国神社の宮司さんに、事前に確認をしました。
人間界が勝手に決めたルールなので、全く問題は無いです。
故人(母)を想う気持ちを優先させて下さい。
特に靖国神社は、「神という存在」を祀っている場所では無いので…
と。
アドバイスを頂き、しっかりと手や口を清めてから、参拝しました。
宗派によっては忌憚だったりするかも知れませんので、確認されて下さいね。
母は仏式の葬儀でしたが…そんなに厳密ではない、形式だけの式でした。
長い日記にお付き合い下さり、有難うございました。
☆雑談テーマと迷いましたが…
♪ピアノのテーマにしました。
「♪の日記」が、なかなか増えません