【黎明期】
Webと関わって何年経つのだろう。
ちょっと数えてみたら、びっくり。
1995年ころからだから22年もだ。
もちろん、始めたころはパソコン通信の世界が中心でした。
電話回線で、144(いっちょんちょん)のモデム(14.4kbps)を購入し、テレホーダイの契約をし、初めてWebに繋がったときは、プールから海へ水の世界を切り替えたような感動を覚えました。
当時のWeb情報は、Wikiもなく、個人サイトがネットに情報を投げ込む場所も「掲示板」くらいしかありませんでした。
2chも、そういった文化の中で出現していきました。
個人のHPもどんどん増えていきました。
インターネットというのは荒れた感じもせず、参加型やボランティアの精神にあふれた、様々な情報紹介サイトが生まれていったように思います。
Webの世界が、ネット詐欺や悪質サイトが生まれるなど、荒れた感じを覚え始めたのは、商業主義が入り込んできた1998年ころからでしょうか・・・。
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【チャットとオフ会】
私はすぐにチャットサイトを覚えました。
文字ベースのチャットは、最初からつまらないと感じていたのですが、自分のキャラクターを設定できるアイコン型のチャットにはまりました。
それは、ベッコウアメというプロバイダが無料で提供していたPUBというチャットだった。
毎晩のようにアクセスしていた私は、ここでタッチタイプを覚えたと言っていいです。
また、ここのオフ会で知り合った人たちとのリアルの付き合いは、刺激的なものでした。
会社の社長、現役プログラマー、デザイナー、プロギタリスト、学生、営業・・・と書いていくと、当たり前のキャリアなのですが、そういった場所に積極的にアクセスしてくる人たちなだけに、一癖も二癖もあり、多くが寝不足を抱えつつも刺激を求めていました。
バブルが終わっていたにも関わらず、エネルギッシュなものを感じる世界が立ち上がっていました。
私は、おおよそ結婚を機に、そういった生活から足を洗っていくことになります。
実際問題、ネットの技術も新しくなり、HPや掲示板よりもブログ、そしてtwitter、mixiなどに移っていく中で、チャットで繋がるのが体力的に厳しいものでしたから、自然に遠ざかる人が多くなっていったからでもありました。
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【HPからブログへ】
私は個人HPの所持者でもあったけれど、基本、テキストのみの更新しか要求されない、個人ブロガーとして道を進むことになりました。
この時期、今の仕事:教職を正規に初めていたため、この業界の息苦しさを問う内容を発信していくことになりました。
ブログは、相互リンク、コメント、トラックバックという、関係性を築くためのツールが組み込まれていましたし、自分にとってのネタや、自分の記述のための調べの中で、同じ問題意識をもつブロガーをたくさん知ることになっていきます。
それは、私にとっての自信や安心にもなっていったわけですが、リアルの世界に、多くの実践家や研究会があることを教えてくれるものにもなっていきました。
そんな中で知り合ったのが、しおちゃんマンや子安さんでした。
また、そのつながりで、鈴木和夫さんや三二さんとも知り合っていくのでした。
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【mixi】
あるとき、会員制のmixiに誘われ、そこに入ることができました。
Webを海とするなら、ここは湖のような場所でした。
限定的な環境と限定的な参加者。
ある意味、昔のパソ通のフォーラムのような狭さを感じたものです。
しかし、その湖は次第に膨れ上がっていきました。
SNSというのは、拡大性をもって盛衰が決まるのだと思いました。
mixiは今でもたまにアクセスします。
今のここは、自分にとっては隠れ家のようなもの。
静かな水の底で、小さな泡をぷくぷくやるように、つぶやきを倉庫にしまっておくところです。
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【そして今はFacebookという仮想空間】
正直いって、これに変わる技術革新がなければ、これほど利便性の高いものはないというところでしょうか。
ある種の自己実現のツールと見紛うところもありますが、巧みにいろいろな技術を内包している点が優れています。
Facebookは、そこそこオープンなところが受けるのだと思います。
隠とん型とも言える会員制のSNSと比べると、発信した言葉に必然的にまとわりつくオフィシャルイメージが、いい意味で、Facebook上での活動を牽引していってしまっているような気がしています。
うまく使えば、いいツールという感じです。
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【ある種の多元性】
今、私の用いているSNSツールイメージは、いくつかのBlog、mixi、Facebookですが、その下位に、いくつかのポータルサイトやTwitterが配置されています。
その仮想世界であるSNS群と、現実世界である家庭、仕事場、数々の学習会、そして自己空間を行き来しながら僕は生きているような気がしています。
僕が発信する言葉は、そういった世界それぞれに発信していっているのではなく、総体として意味がわかるようにしか出そうとはしていないつもりです。
僕という文脈を知っている人にはわかりやすく、そうでない人にはわかり難いと思います。
でも、難しくしているつもりはありません。
そうしていることが自分らしいかな?と思っているというだけです。
言い訳めいている気がするので、これぐらいにします。