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くまさん

ある日、ネットの森の中、くまさんに出会ったら・・・。

予告編を見て、ぜひ劇場へ観に行きたかった作品だが、カミさんと一緒に鑑賞することができた。

ツレと同じ時間を過ごすことの幸せよ。

GWにありがとう、だ。

 

思っていた通り、人権を訴える作品だった。

しかも、ドラマとして、とてもコンパクトに訴えており、物語が心を揺さぶり続ける時間が続く。

それがとてもリアリティがあるのだ。

それらの事実は、例えようもない辛さと悲しさをもっている。

 

あとでパンフレットを読んで、これがフィクションであることがわかったが、多くのダン(ダニエル)が、今もそこここに生きているということが離れない、そんな主張を明快に感じることができ、自分の中の問題意識がぐっと首をもたげて育つような実感を得た。

そう。

僕はこの作品から、マイノリティとして問題意識をもって生きることの勇気のカケラをもらった気になっている。

 

ダンの生き様は素晴らしいが、最後がとても悲しい。

ケイティやデイジー、ディランは、彼との交流から確かに受け取ったものがあると信じたい。

そう物語にのめり込むような中を通過して、何かが僕を照射している気がする。

 

人とのつながりに励まされて生きることは、誰にも必要なことだと思う。

ダンの闘いは、僕の闘いにきっとなる。

 

カンヌのパルムドール。

当然だ。

 

映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」

 

今年の4月は猛ダッシュ。

1、2日が土日だったから、すぐに始業式、入学式がくる。

 

明日からまた、普通に出勤だ。

 

そしてこの3日間で、年度始めの配布書類のまとめと遠足の実踏と学年の方針を打ち合わせないといけない。

6日には始業式と入学式が立て続けに行われる。

 

まったくバカな仕様だ。

この20年ほどで、完全に改悪されたシステムだと思う。

教師だけでなく、親も子どもも喜ばない、誰も幸せにならない部分は確実に拡大している。

 

英語の増加、道徳の教科化、学力テストの強化などなどの、当事者の声を聞かないトップダウンの教育施策のニュースがなかった年は、それこそないだろう。

教育環境を取り巻く雰囲気は、悪い霧が濃くなるばかりで、当事者達には全体像が見えないようになっている。

 

そんな喧騒をよそに、子ども達は学校にやってくる。

がんばってやってくる彼らを、僕らは彼らを愛おしみ、抱き、育むことに、まずは集中したい。

共に歩む場所が学校であることを刻む日々を過ごすために。

【黎明期】

 

Webと関わって何年経つのだろう。

ちょっと数えてみたら、びっくり。

1995年ころからだから22年もだ。

もちろん、始めたころはパソコン通信の世界が中心でした。

電話回線で、144(いっちょんちょん)のモデム(14.4kbps)を購入し、テレホーダイの契約をし、初めてWebに繋がったときは、プールから海へ水の世界を切り替えたような感動を覚えました。

 

当時のWeb情報は、Wikiもなく、個人サイトがネットに情報を投げ込む場所も「掲示板」くらいしかありませんでした。

2chも、そういった文化の中で出現していきました。

個人のHPもどんどん増えていきました。

インターネットというのは荒れた感じもせず、参加型やボランティアの精神にあふれた、様々な情報紹介サイトが生まれていったように思います。

Webの世界が、ネット詐欺や悪質サイトが生まれるなど、荒れた感じを覚え始めたのは、商業主義が入り込んできた1998年ころからでしょうか・・・。

 

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【チャットとオフ会】

 

私はすぐにチャットサイトを覚えました。

文字ベースのチャットは、最初からつまらないと感じていたのですが、自分のキャラクターを設定できるアイコン型のチャットにはまりました。

それは、ベッコウアメというプロバイダが無料で提供していたPUBというチャットだった。

 

毎晩のようにアクセスしていた私は、ここでタッチタイプを覚えたと言っていいです。

また、ここのオフ会で知り合った人たちとのリアルの付き合いは、刺激的なものでした。

 

会社の社長、現役プログラマー、デザイナー、プロギタリスト、学生、営業・・・と書いていくと、当たり前のキャリアなのですが、そういった場所に積極的にアクセスしてくる人たちなだけに、一癖も二癖もあり、多くが寝不足を抱えつつも刺激を求めていました。

バブルが終わっていたにも関わらず、エネルギッシュなものを感じる世界が立ち上がっていました。

 

私は、おおよそ結婚を機に、そういった生活から足を洗っていくことになります。

実際問題、ネットの技術も新しくなり、HPや掲示板よりもブログ、そしてtwitter、mixiなどに移っていく中で、チャットで繋がるのが体力的に厳しいものでしたから、自然に遠ざかる人が多くなっていったからでもありました。

 

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【HPからブログへ】

 

私は個人HPの所持者でもあったけれど、基本、テキストのみの更新しか要求されない、個人ブロガーとして道を進むことになりました。

この時期、今の仕事:教職を正規に初めていたため、この業界の息苦しさを問う内容を発信していくことになりました。

 

ブログは、相互リンク、コメント、トラックバックという、関係性を築くためのツールが組み込まれていましたし、自分にとってのネタや、自分の記述のための調べの中で、同じ問題意識をもつブロガーをたくさん知ることになっていきます。

それは、私にとっての自信や安心にもなっていったわけですが、リアルの世界に、多くの実践家や研究会があることを教えてくれるものにもなっていきました。

そんな中で知り合ったのが、しおちゃんマンや子安さんでした。

また、そのつながりで、鈴木和夫さんや三二さんとも知り合っていくのでした。

 

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【mixi】

 

あるとき、会員制のmixiに誘われ、そこに入ることができました。

Webを海とするなら、ここは湖のような場所でした。

限定的な環境と限定的な参加者。

ある意味、昔のパソ通のフォーラムのような狭さを感じたものです。

しかし、その湖は次第に膨れ上がっていきました。

SNSというのは、拡大性をもって盛衰が決まるのだと思いました。

 

mixiは今でもたまにアクセスします。

今のここは、自分にとっては隠れ家のようなもの。

静かな水の底で、小さな泡をぷくぷくやるように、つぶやきを倉庫にしまっておくところです。

 

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【そして今はFacebookという仮想空間】

 

正直いって、これに変わる技術革新がなければ、これほど利便性の高いものはないというところでしょうか。

ある種の自己実現のツールと見紛うところもありますが、巧みにいろいろな技術を内包している点が優れています。

 

Facebookは、そこそこオープンなところが受けるのだと思います。

隠とん型とも言える会員制のSNSと比べると、発信した言葉に必然的にまとわりつくオフィシャルイメージが、いい意味で、Facebook上での活動を牽引していってしまっているような気がしています。

うまく使えば、いいツールという感じです。

 

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【ある種の多元性】

 

今、私の用いているSNSツールイメージは、いくつかのBlog、mixi、Facebookですが、その下位に、いくつかのポータルサイトやTwitterが配置されています。

 

その仮想世界であるSNS群と、現実世界である家庭、仕事場、数々の学習会、そして自己空間を行き来しながら僕は生きているような気がしています。

 

僕が発信する言葉は、そういった世界それぞれに発信していっているのではなく、総体として意味がわかるようにしか出そうとはしていないつもりです。

 

僕という文脈を知っている人にはわかりやすく、そうでない人にはわかり難いと思います。

でも、難しくしているつもりはありません。

そうしていることが自分らしいかな?と思っているというだけです。

言い訳めいている気がするので、これぐらいにします。

あの日のことをよく覚えているもんだな。

 

棚の上の荷物を押さえながら、ヘルメットをかぶり、飛び出した金魚に手を伸ばす動物に優しいSさんに「だめ!」って叫んだ。

 

その向こうの窓の外は、わずか3階建のはずなのに、南北方向に団扇を仰ぐように揺れる校舎が見えていて、PS時間が長いことを感じて、これは東北か東京の遠い南の海の下が震源地だと直感していた。

強い揺れのピークが穏やかに過ぎたけれども、あまりの長さに、もう一回揺れるのかもしれないと思いがよぎっていた。

 

校庭に出ると、細い地割れが走っていて、なぜかプール側がびしゃびしゃだった。

(あとで、プールが揺れのため渦を巻いていたからだとわかる。)

都下でこの状況。もし東北だったら、これは、そこが大惨事になっているはずだと想像したら、背筋が寒くなった。

 

職員室の扉が開き、走り寄ってきた職員から、「宮城県の方だ。」と聞く。

ああ、僕の行ったことのある町はひどい状況だろう。そう思った。

東北地域に住む、知り合いを思い浮かべた。

 

外はまだ寒く、小雨が降り出しそうだった。

 

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あの日のあと、しばらく生活に不自由が生じたことも含めてたくさんの記憶がある。

そして、それは震災を直下で受けたり、それにまつわる被害を受けた人たちにも、それぞれの記憶がある。

もちろん、この震災に限らないことだ。

 

地震国と呼ばれる地に生きるからこそ、震災の記憶の風化を可能な限り押しとどめ、次につないでいくことが大事であるし、被災した人たちへの手立てを親身になって考えることができるのだと思う。

 

「一区切り」などではなく、継続的な想いがあれば、手立ては必要なだけ続けなければならないと思う。

平仮名で書いても何にもならない。
 
予防接種もしていたし、ウチのクラスのインフルエンザ氏は、今月に入ってからは影も形も居なくなっていたのに・・・。
後悔すれども、どこでうつったのかさえ覚えがない。
 
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おかげで、1週間、担任閉鎖のクラスをつくってしまった。
みんなは元気に待っているだろう・・・。
 
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職場のみんなは、こうやって休んでいる私をうらめしく思っているだろうか。
それとも迷惑千万と思っているだろうか。
(私なら、『どんとこい!何とかしてやらぁ!』くらいの気概があるのだけれども…。)
 
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何度も思い返してしまうけれど、金曜日の夕方から調子が変だった。
節々に痛みが出そうな小さい痛みと違和感、少しの寒気。
でも、どっと悪くなりそうな気配がなかった。
「風邪だな。」
と、すごすごとその日は帰った。
 
土曜日の朝、何となくだるいので、熱を計ると36.8℃。
「あ、これは普通に風邪かな?」
確かに午前中は37.0℃まで上がったけれども、昼には36.7℃。
「お。インフルエンザじゃないな、コレ。」
夕飯もちゃんと食べることができるよ。オレ!
そんな感じで安心して寝た。
 
きっと起きたら元気になっているだろう。
今日、いろいろ重なっていた学習会に行けなかったけれど、やっぱり元気を回復することが第一だもの。
休んでよかった!
そう思っていた。
 
・・・でも、勘違いだった・・・。
 
日曜日の朝、検温。
36.7℃
よし。朝食!
 
・・・でも、何か気になって食べた後、もう一回。
37.0℃。
あれ?・・・よくなっていないぞ?
そんなハズはない。
消化のために発熱?
そんなアホな。
 
午後の検温。
37.4℃
夕方。
38.0℃
ぐええ。
 
このあたりから泣きモード。
月曜日の夜はカミさんとジャーニーのライブだったのに・・・。
 
朝、熱が下がっていたら、と、一分の望みにかけて寝る。
で、結果がダメで、医者でインフル確定となった。
 
ああ、ほんと、ゆるくないね〜。(北海道弁)

昨年度に続いて、某大学で「現場教師の語り」をさせてもらった。

ありがたいチャンスを与えてもらったものだ。

 

1年前も、聞き手は、まだ仕事イメージがはっきりしていない学年だと聞いていたけれども、私自身はそれ自体もイメージできていないで話はじめてしまった。

このときは肺炎気味のひどい体調も手伝って、うまく話せた気がしなかった。

 

似たようなことはあるもので、以前、学びをつくる会で初めて報告者として話したときにも同じような思いをしたことがある。

だから「語り直し」のような気持ちで臨んだ。

 

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で、今回は、・・・否、今回も、事前にかなり考え込んだ。

 

悩みに悩んでいるとき、いろいろと揺れながらも敏感な部分が出てくるもので、どうにかこうにか思いついて、今回の語りになった。

果たして・・・である。

 

話した中身の一つは、「教師の1日」。

 

こういうのはベタな感じがしたけれども、意外に個人に焦点化してリアルに取り上げてみるのは、現場を知ってもらう切り口としては、自分なりのカラーが自然に出しやすいかもしれないと思ってしゃべった。

 

また、よりそのカラーを具体的に出せるように、教室の私自身の個性と呼べる部分を写真で切り取っておいた。

 

今一つは、授業の様子。

私の授業は、子どもたち自身が進めていく「聞き取り合い」が基本にあるから、そこをちゃんと切り取ってみた。

子どもたちの言葉で進む様子を再現してみよう・・・と。

 

これにはパワーポイントがよさそうだと思って、撮りためていた板書の写真に、授業の発言の積み重なりを描きこんでみた。

 

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1日の流れ、教室風景、そして授業の様子。

うん。なんとなくピタッときた。

そんな感じがしたので、これをもっていくことにした。

 

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三二さんから「漢字の授業の話」を入れては?というリクエストというか助言があった。

 

なるほど、ネタ主義的な考えを表現してみせるのは、若い人の教職イメージには結びつきやすいのかもしれない・・・。

 

これについては、このブログに書かれたものを、今一度読み返しておいた。

学生さんに語るときには、どういったイメージで話せるかを、頭の中で反芻するように悩んでみた。

まあ、親受けも良かったイメージがある、いつも通りの「左右の手」の話をした。

 

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果たして、無事に(?)ゲスト講義を終えることができた。

 

帰りの電車で、コメントペーパーに書かれた感想を読ませてもらった。

 

私の話への共感的な言葉はもちろん嬉しかったけれども、学生さんが、今、どんな教職イメージでいるのかを伺い知れるコメントが興味深かった。

意外に「指導案づくり」が気にかかっていたり、仕事量が気にかかっていたり、もちろん、子どもとの関係や自分が本当に教壇に立ち、授業をしていけるのかといった不安も浮かんでいた。

こういったことを知ることができたのが、私にとっての一番の収穫だった気がした。

再度、こういった機会を与えてくれたことに感謝、感謝だ。

「この世界の片隅に」・・・。

 

素晴らしい映画に出会えた。

 

先日、この映画が、評論家視点傾向が強いと揶揄される、あの「キネマ旬報ベストテン2016」の堂々1位を記録したというニュースを聞いて驚いた。

 

興行成績や巷の話題としては、アニメ映画であれば「君の名は」だろう。

この映画もエンタメ度、技術度が高く、駆け抜けるようなテンポのストーリー展開も見事な作品だった。

 

これをベストテンに選ばず、(たぶん読者賞に押し付けてしまうつもりなのだろうが)そこをカットした上で選ばれたということでも、この作品がトップというのは痛快としか言いようがない。

 

 

原作は単行本が出版されるごとに購入していき、大事に読んでいた。

とくに下巻の、すずの慟哭のシーンには、久しぶりに漫画で泣かされた。

(これは、前作、「夕凪の街 桜の国」への思い入れも影響していたと思う。私には連続性を感じた。)

 

当時、私以外にそれほどこの作品を語る人がおらず、いきおい、せめて子どもにも、と、授業にも用いようといろいろやってしまったこともある。

これは失敗。

でも、親が2人ほど反応してくれた。

 

そういう愚行もマイノリティの偏った感性が為したことだったと、今は少し客観視して思っているけれども、こうしてメジャー映画になるなんて、青天の霹靂だった。

 

居ても立ってもいられずに、時間がないと煮え切らないカミさんを横目に放っておいて、当初60余りの上映館が終了したら観ることが叶わなくなるのは堪らないと、上映開始後、独りですぐに観にいった。

 

上映館では、パンフレットが売り切れていて驚かされた。

(鑑賞後、できたてほやほやのパンフが届き、無事に購入したが…それほど売れていた。)

「これは来るな。」と心の中で思ったけれども、まさにあれよあれよと上映館が増え、期間も伸び、年末にカミさんを再び誘ったときには、彼女も観るべきというモードになっていた。

(もちろん、鑑賞後、とても感動していたと聞いた。)

 

多くの感想や評論を目にした。

そのどれもが、語り出さずにはおれない雰囲気を感じた。

 

もう年が明けてしまったが、昨年度末、とても興奮した体験になった。

まだ同僚が漫画の方を返してくれないけれども、マイノリティの言葉でなかったから、自信を込めて、さらに回し読みを増やしていけそうな気がする。

前日に記事にした「ブルックリン」は、カミさんに言わせると、テーマはわかるし、美しい映像もいいけれど、登場人物が良い人ばかりの物語だから、ドラマの展開に面白みがなかったと言っていた。

 

言い得て妙だ。

 

で、ついでに借りておいたのが、この「エール」だったのだが、こちらは大当たり。

 

個人的には、日本の聾唖者の話題を扱った映画も見ているけれども、日本の映画ドラマのそちらは正直いってヘヴィだ。

 

もちろんヘヴィなものが悪いとは言わない。

 

私の好きなその手の映画に、アメリカのテレビ映画として1985年に制作され、ほぼ同時期にNHKが字幕を入れて放映したときに観た、

「愛は沈黙を越えて(Love Is Never Silent)」

があるけれど、これものっけから死んでしまった幼い弟の葬儀代をケチらせるために、小さい姉が、聾唖者である両親の代わりに葬儀屋と交渉するというシーンがある。

 

ただ、この映画も、最後には、この主人公である姉が自立的に人生を選択していく点が明るい。

 

今回のエールも、どちらかというと、この明るさが満ちている。

 

「愛は沈黙を越えて」でもそうだけれども、『静寂』と『言葉』が人を救っていくところがいい。

主人公もそうだが、登場人物それぞれが関係性の中で想いを伝えるコトバを微妙に失っている。

特に音楽業界から落ちぶれた音楽教師の変容は、個人的には一番、響くものがあった。


自分の言葉の中に、他者のコトバを見るとき、ハッと気付く事がある。

そう。

私はこの「エール」に、「愛は沈黙を越えて」と同じドラマを感じたのだ。

 

そして、何と言ってもこの「エール」は、最後の畳み掛けるような山場、発表会からのオーディション・シーンだろう。

この演出と演技には脱帽する。

この歌には、本当に体が震えた。

 

世の中にはいろいろな人がいるから全ての人に必見とは思わないけれども、一見の価値は1万パーセントある。

そういう説得力のある歌と演技、そして力強さと爽やかさがある。

 

こういうのを元気をもらえる映画というのではないだろうか。

昨夜はレンタルDVDで映画を観た。

 

ブルックリンというドラマ映画作品だ。

 

予告編を見て、その映像が綺麗であるところ、女性の人生選択の物語であることなどを知り、観てみたかった。

 

見終えて、実はあっさりとしたストーリーであることを知り、もう少し物語展開の山場がほしいと感じてしまった。

この手の作品を観るときに気をつけなければならない。

どういうモードで見ればいいのかというところが、少しずれていたようだ。

 

映像は想像通り、街並みも海もとても美しく、風景は変化に富んでいたし、場所によって照明が巧みにあやつられていて納得品質だった。

その点はスクリーンで観たかった。

 

俳優陣も名演で、嫌味を感じさせないリアリティを吹き込んでいた。

そういった意味で、テーマ性は十分に雄弁に語られていたし、ドラマとして上等なものだった。

 

それゆえに、エンタメとしてはどうなのかという部分が、見る側にズレを生じさせた場合はこうなのだなと思う部分があった。

 

時代劇であるので、印籠を出せとは言わないけれど、その時代性が物語にウィットを吹き込む何かが少なかったのだろうと思う。

 

そういった意味では、途中で挿入されるゲール語の独唱は素晴らしかった。

 

細かいところで楽しむという観方ができれば、これほどの味わい深い映画は、あまりないのではないだろうか。

自家撮りなのでゆがんでいるけれど、2月号が届いたので写してみた。

 

まだ全部読んだわけではないけれど、読んだ部分だけでもホットな内に書いてみたい。

 

(1)映画評

私が雑誌「教育」を読む時には、助走をつける場合がほとんどだ。

 

それは「とびらのことば」だったり、映画評だったりする。

 

今回は「この世界の片隅に」の映画評なので、小躍りして読み始めてしまった。

山本さんの短い文が濃厚なこと。

 

主人公「すず」の成長の物語として捉えるために、山本さんによって選ばれた「言葉」がとてもしっくりきた。

締めくくりも読者にあてられていてグッとくる。

 

映画を観た人は是非読んでほしいし、映画を観ていない人は、さらに拡大上映が決まったというこの作品を観に行かなければだめでしょ。

作品はそれほどの作品であるし、この評はそういった評だと思う。

 

(2)特集2「先走る教育技法」

「へそ曲がりは後ろから読む。」ではないけれど、特集1の分量におののいて、2から読む。

 

まず、藤井論文がいい。

最初、「PDCAからPDSAへ」というタイトルなのだけれども、個人的には、もうすでにアレルギー症状を呈していて、読み飛ばしをしそうになった。

 

私は以前から

『「PDCA」はおかしい、「P」の立案の誤りを修正することができない中で働くことになっているからこそ、ひどいダウンスパイラルに陥っているのが今の現場だから、このサイクルは悪のサイクルで一つもいいところがない』

と、毛嫌いしてきたのだ。

 

いきおい、富田さんの「とびらのことば」に戻る。

『個々の技能は、その背後にめざすべき社会・教育像を有していることを軽視することなくとらえたい。』

 

その言葉に惹かれて、もう一度読み始める。

ガラリと意識を換えて読み始めると、もう別世界だった。

 

バウマンの「近代とホロコースト」を用いての説明がわかりやすい。

今の現場を覆っている状況を、歴史に照らして科学している。

 

そして、『PD「S」A』である。

・・・なんだ。これって私が言っていることじゃないか。

 

 

このあと、AL(守屋)、UD(赤木)の記事が続く。

これも同じ違和感のスタートで読み始めるが、次第に引き込まれる。

 

締めくくりは、あの香川県の雄、中尾さんの文だった。

教師の人生の振り返り・・・これを前の3つに対置するなんて・・・

個人的に知っている方だっただけに、言葉を失うほど感動した。

 

特集1をまだ読んでいないけれど、これはこの映画評と特集2だけで買いである。