今回の教科研大会は、個人内で「まつり」と題して全日を過ごした。
最初に書くけれど、この日は盛りだくさんで1日が長く感じた。
それだけに以下、長文になります。
ー1ー日ー目ー(8/10)ーーー
午前中は教科研講座。
これは、講演会の前座でもあるけれども、3日間を豊かにする教科研らしさを出すアクセントになっている。
今年は思い切って、学校の事実から立ち上げたラインナップに見えた。
この日の夕方にある(学識的な)フォーラムとのコントラストも強く打ち出せていたと思う。
私は講座1の「学級通信を書いてみよう」に、自分の通信を持ち込んで参加した。
世話人は、雑誌「教育」4月号の特集2「書いてみませんか、学級通信」を企画・編集した三二さんと西田さん。
教室の事実を知らせながら、保護者とつながり、お互いを拓いていくための通信はとても大事な教育実践だ。
受付の机には、同じ思いの人がたくさん通信が並んだ。
参加者は、通信の書き方もそうだが、何を書いたら続けていけるのかを聞きに来ていたと思う。
三二さんや西田さんは、この時間でコンパクトに、その要望にかなった内容を紡ぎ出していた。
参加者は一様に満足そうだったように見えた。
私は自分の、「墨塗り」を要求された通信をいくつか紹介する中で、管理統制(横並びスタンダード)下で、たびたび発行の差しとめに遭うことを報告した。
またそれでも、保護者のみならず、若い教師、組合で活動をしている教師、担任以外の教師など、多方面に主張を残すことへの努力の必要性を述べたつもりでいる。
この部分は、交流不足なので、レスをもらいたいところ。
ー望ー月ー衣ー塑ー子ー講ー演ー
だれかが、「これは『松本ヒロ』だ!」と言っていたが、まさにそんな雰囲気があった。
政治記事、リーク記事、スクープがどのように作られ、流れていくのかが、よくわかる話だった。
ある意味、裏話過ぎて、新聞記者になりたいと思う人がいなくなるんじゃないかと思えたほどに、自分の裁量を生み出すための涙ぐましい苦労も垣間見せてくれた。
ただ、望月さんのエネルギッシュなノンストップ・トークの講演の様子に、そんな私のような感じ方は微塵もなく、バリバリと問題政治家をこき下ろす姿に、こういった人とも、「どうつながっていけるのだろう」ということばかり考えていた。
他方、やっぱりモリカケの問題って、解決には、多様な人の問題意識の集合が必要なんだよなと思った。
あの「大会後援取り消し」を川崎市教委に迫った、「偏向的な主張をもつ産経新聞」の記者であろう人が、すぐ横に座ってカメラを構えていた。
この人たちでさえ、世論のバックアップがいくばくか見込めないと身動きが取れない人たちだ。
次の日の朝刊に、「憲法改正「阻止」で川崎市教委後援取り消しの教科研大会、開幕(全国の教職員関係者が約250人参加)」という記事が載った。
これを書きたいだけのつまらないものに巻き込まれた感があるけれども、後援取り消しを受けても、昨年、一昨年の大会以上の525人の参加者を得て大成功だった。
近年、教科研の勢いは止まらないのである。
ー教ー育ー問ー題ーフォーラムー
フォーラムのE「公教育の未来」へ参加した。
堀内さんからの問題提起が「学習効率の向上に対して、ドラッグを適応して考える」という過激なテーマだった。
「公教育」の「未来」としたフォーラムタイトルから導き出されるものがこれということには、正直驚いた。
それだけに、時間内で場内の議論がかみ合ったとは全然思えなかった。
神代さんが話した内容も、実は噛み合わせどころでなく、エンハンストを横目に睨みつつ、「教育活動とは」や、「教育的価値論」にそった内容から、未来の教育を考え、実践する主体の側の見方を述べようとしているように思えた。
私としては、「エンハンスト(増進)」の技術は「0からプラスへ」の技術として捉えることは理解しやすいが、そこに教育の本質的な意味は乗らないと思っていた。
(ちなみに「マイナスから0へ」は治療技術というイメージ。)
化学技術で言えば、化学の「生成技術」に当たるのが「教育技術」であって、教育における「エンハンストの技術」は、化学の「触媒技術」のように感じたのだ。
触媒技術は、所詮、それ自体が物を生成する物語をもっていない。生成を促進したり、効率化するものだ。
神代さんも、治療的なイメージでドラッグが用いられるのであれば、低所得者など向けへのケアになり、再配分につながるということを述べていた。
そこを化学で言えば工業化するように、教育でも大々的に行うことができれば、全体の底上げという現象を生むでだろう。
そういう技術であれば、私たち人類全体に影響する教育的な価値を高める可能性が出てくるかもしれない。
でも、個人で、しかも高所得者のみなどの特例的な「0からプラスへ」目的のみで用いられる技術となったとき、そうして人となる個人は、社会から切り離された人格となる可能性があるだろうし、それは倫理的なそしりを受ける可能性も出てくると思う。
サイボーグ009のメンバーが、エンハンストされた自分の身体や人格に悩む姿も見えてくるのではないだろうか?
何にせよ、SF的とも思える未来の話で、それ自体受け付けない人もいたように思った。
でも、ドラッグで自分をエンハンストメントする人も増えている事実がある。それが教育の問題かどうかは、今後、考えていく課題だとは、私も思う。



