離婚して、もう元夫のために家事をしないと決めた。

 

それは、元夫のために食事の支度などの家事をやってしまうと、できないときに申し訳ない気持ちになって、自分をどんどん追い込んでしまうから。

 

それでも、それがいじわるをしているようで少しいやな気持ちで、何か言い訳めいたことを元夫に伝えようかと何度も思って、でも思いとどまっている。

 

そこをずっと考え続けてきて、私は何事においても、「人からどう思われるか」を気にして苦しんでいるんだな、ということに気づいた。

 

人間が生きるにあたって、「他人からどう見られるか、思われるか」をまったく気にしなくなったら周りとうまくいかなくなってしまうけど、私は過剰に気にしすぎているんだと思う。

 

自分自身がどういう自分でいたいかを考えると、私は今自分のためにがんばることに決めた。自分と子供たちのために自分ができることをやっていくと。

 

その上で、もちろんひとに迷惑をかけることはしないけど、元夫のご機嫌を必要以上に気にすることはないんだよなぁと、今日思い至った。

 

1年くらい地味に心がけてきたNVCがだんだんしみこんできてるのも感じるし、今年からいろんな意味で生きるのが少し楽になっていくのかもなと思う。

これはあくまでも私個人の解釈なので、正しいか間違っているかはわからないし、それでどうということもないのだけど、さっきふと思って、そうしたらすごく腑に落ちたので記録。

元夫は、私や子どもたちが不幸にならないようにがんばってくれていると思う。

がんばれるのに一緒には生きないという選択。

私は今結構幸せで、それが離婚の上に乗っていると思うので、一緒に生きないことは正しかったなと思う。

では、彼のなかはどうなっているんだろう、と時々思う。

今幸せかな。

子どもたちはともかく、今は赤の他人になった私のためにまで、何をがんばるんだろう、と考えていて、やっとしっくり来る答えが見えた。

たぶん罪悪感なんだ。

私はどうして今この解釈に至ったのか、そこをも少し考えないと。

前回、「アイアイファースト講座」の話を書いたのだけど、そこでよく出てきたのが「在り方」という話。

 

何になりたいとか、何をしたいとかいうよりも「どう在りたいか」。

ここから取り組むことが大事だなと思っていたら、改めて手元にあるいくつかの本ではまさに同じことを言ってるんだなとやっと気づいた。

 

あまりにも視野が狭くて、「今私はどうしたら…」ということばかり気にしていたから全然気づかなかったのだけど、「どういうふうに在りたいか」という話は結構いろんなところで出てきているみたい。

 

と、こんな話を聞いても、たぶんたいていの人はピンとこない。

それは、去年の私のような感じだろうと思う。

 

何になりたいとか、何をしたいとか、そんなことの前に、「どう在りたいか」を見ないといけなかった。

 

まだ私はよくわからないのだけど、たぶん私は欲しいものをすべて持っている。それられが発揮されないのは私のこころがブレーキをかけているから。

 

このブレーキをはずすためには、「在り方」についてきちんと考えていく必要があるような気がする。

仲良しのときも確かにあったのに、そうではなくなってしまったから離婚したわけですが、これってどういうことだろうと、なんとなくずっと考えてきた。

今日ふと思った。

一緒に楽しく遊んでいたかったのに、いつの間にか楽しく遊んでいられなくなったから、おしまいになったのだなと。

そんなことを思った。

おしまいにして良かった。
今も、後悔はない。
起こったことはすべて正しい。
結婚して良かった。
そして、離婚したことも良かった。

一番上の子は少しナイーブなところがあって、ストレスがあると体調が悪くなったりする。

最近ストレスで体調が少し悪いように見えるので気にしていたのだけど、今日はお風呂で話す時間があって気持ちを聞いてみた。

ストレスの原因はとりあえず学校ではないみたい。で、いろいろ聞いていったら、やはり離婚の影響があるよう。

それで、離婚について私の思いを説明してみたのだけど、その説明の中にはどうしてもまだ怒りがあるんだなということが改めてわかった。

表面ではない、少しだけ奥のところに、どろっとした怒りがある。私がこれを浄化できてないから、子どもに影響が出ているような気がしてきた。

こういうのはどう付き合うものだろうなあ。