表現の自由と言う言葉を傘に目に余るSEX描写は教育上如何なものかとは思う。
が、だからと言って表現の自由を奪っていいものではない。

重要なのは判断力を身につけさせる教育であろうと思う。

また、その判断力を培うのも様々な表現の中にあるものと思う。

要は、表現する側とそれを受け止める側のモラルや良識の問題であろう。

日本の法律は何を創り、何を守ろうとしているのか?


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私の娘は二人ともワンピースが好きだ。

表現に多少のグロさはあっても娘達には“大切な何か”を伝えてくれる良書だと私は考える。
子供の頃…一日が30時間あれば、もっとやりたい事をやり切れるのにと思った事がある。

当時はそれでも一時間の使い方が詰まったものであり、今のようにいつの間にか時間だけが過ぎてしまうと言う事がなかった時期なのに。

今、もうすぐ47歳になろうとしているが、それでもやはり一日が30時間欲しいと思う今日この頃である。

仕事の準備に掛ける時間も欲しければ、家族の為に使う時間も欲しいし、好きな飲み屋を廻る時間も欲しい。
勿論、欲しいのは時間だけでなくお金も欲しいのだがシラー汗


そして、観たい映画やDVD、また読みたい本や漫画に費やす時間も欲しい。


年齢を重ねる毎に、どんどん時間の使い方が下手になっているような…
或は、余裕がなくなっているような…
そんな気がしてならない。

なのに、今更だけど“無駄な時間”や“寄り道”に気持ちが惹かれるのは…
性分と言うものなのだろうか?

そろとも、未だ自分の歩む道が見えて来ないからなのか?
表現の自由と青少年育成の観点からの攻防。

しかし、酷い性描写と言うのは表現の自由と言うものなのか?

昔、ストリートキングとか言って素っ裸で街中を走り抜ける人が捕まると言うニュースを見て、…何で裸で走るのがいけないのか解らなかった。

それでも、自分の裸を見せながら街を走り抜ける方が、醜く酷い性描写よりもマシなのではないか?と思えるのである。

果たして漫画誌が自分達にどれだけ規制をかけられるかは、モラルを問われる問題だろうが、それを明確な法とすることが出来るのだろうか?

“性描写”と“酷い性描写”との区別を、一体誰がどうやって判断を下すのか?

そして、果たしてその“判断”を発売前に下すシステムを構築することが出来るのだろうか?

毎週出版される膨大な量の漫画をである…。