【安倍晋三】国葬儀・感動の友人代表【菅義偉】 | JINKAN万事塞翁がSNS

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安倍元総理の国葬儀でした

TVの中継は意図的なものを感じるので、youtubeのテレ東ライブで

献花はデジタル献花でいたしました

午前中に献花したのですが、その時は20万名ぐらいでしたけど今は33万名になっていますね

 

式次第はもっとも日本的で、世界の要人には退屈なものであったかもしれませんね

 

松野(官房長官)副葬儀委員長から国葬儀開催の挨拶があって、葬儀委員長(岸田総理)の挨拶、衆議院議長、参議院議長、最高裁判官の挨拶の後、菅前総理の友人代表の挨拶

感動的でしたね~黙とうの時にはすでに泣いていたのですが、ガースーのスピーチは本当に涙・涙・涙でしたね

昭恵夫人も涙ぐまれてました(それ以前は儀式的な感じだった)

大紀元ニュースに全文が文字起こしされていましたので「良かった~」と思い、記録として残しておきたかったのでブログに書くことにしました

 

 

菅義偉前総理の挨拶

 7月の8日でした。

 信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。

 その一心で現地に向かい、そして、あなたならではのあたたかなほほえみに、最後の一瞬、接することができました。

 あの運命の日から80日が経ってしまいました。

 あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつの間にか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。

 季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。

 天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。

 悔しくてなりません。哀しみと怒りを交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。

 しかし、安倍総理…とお呼びしますが、ご覧になれますか。

 ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。

 20代、30代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

 総理、あなたは今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。

 そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。――これが、あなたの口癖でした。

 次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて経済も成長するのだと。

 いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。

 平成12年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。

 私は、当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。

 すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と電話をかけてくれました。

 「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。

 信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。

 そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感いたしました。この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。

 私が生涯誇りとするのは、この確信において、一度として揺らがなかったことであります。

 総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。

 最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。

 3時間後には、ようやく首を縦に振ってくれた。私はこのことを菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思い出すであろうと思います。

 総理が官邸にいるときは、欠かさず一日に一度、気兼ねのない話をしました。今でもふと1人になると、そうした日々の様子がまざまざとよみがえってまいります。

 TPP交渉に入るのを、私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

 一歩後退すると勢いを失う。前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。

 安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案をすべて成立させることができました。

 どのひとつを欠いても、我が国の安全は確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝をささげるものです。

 国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。

 そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。いつもまわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

 総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。

 私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。

 衆議院第一議員会館、1212号室のあなたの机には、読みかけの本が1冊ありました。岡義武著『山県有明』です。

 ここまで読んだ、という最後のページは、端を折ってありました。そしてそのぺージには、マーカーペンで線を引いたところがありました。

 しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

 総理、いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

 

 かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
 

 深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。

 どうか安らかに、お休みください。

 

 令和四年九月二十七日 前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉

 

スピーチが終わった後、唯一拍手が起こったのがガースーです

国葬儀に出席されていた加藤清隆さんが、文化人放送局ライブ会場に戻って来て国葬儀の感想を言ってらしたのですが

国葬儀には自衛隊が大変重要な役割を果たしています

「儀仗」最高指揮官への礼を示す

「と列」遺骨を乗せた柩車に沿道で敬礼

「奏楽」音楽を演奏

「弔砲」19発の大砲による空砲

 

その「弔砲」が撃たれた時には国技館が揺れた 安倍さんに叱られたような気がした

加藤さんは、安倍さんの死を受け入れられなくて、国葬儀によって認めることができたとも言っておられました

 

そして「音楽」です

2時から始まった国葬儀、2時15分ぐらいから葬儀終了までずっと演奏していましたね、最後までライブは見ていないので終了時間は正確には分かりませんが、少なくとも6時過ぎにはまだ終わっていなかったので、凄い体力・精神力です

どこの部隊の音楽隊だったのでしょうね

 

やっと、区切りがついた感じです

事件の真相は相変わらず警察は発表していませんが、日本の専門家・世界からの事件検証などの動画も出てきていますから、いつまでも事実を隠しと失せるとは思えませんね

警察庁はどうするんですかね

 

中川昭一さんが無念の死を遂げ、安倍元総理のような人が現れた

安倍ショックの後は誰が出てきますか?期待しています

 

葬儀の最中に、過激派連中のデモがあり、大騒ぎしていたようです

世界のニュースにもなっていたようで、恥ずかしいですよね、あの中核派とか全学連のヘルメット 

「俺らテロリスト」と世界にアピール

主催者側発表は1万人、警察発表は500人、TVニュースは300人www

 

前のブログの中の写真にある「大阪正明」

以下引用

1971年11月14日、渋谷・四谷などで行われた「沖縄返還協定批准阻止闘争」で、中核派の学生ら約400人が、渋谷で警戒中の機動隊、渋谷駅前派出所を火炎瓶などで襲撃した。これが渋谷暴動事件である。

この時、数人の学生が、新潟県警から応援派遣されていた中村恒雄巡査(当時21歳)を鉄パイプで殴るなどして失神させ、火炎瓶を投げつけた。

中村巡査は全身焼けどを負い、翌日死亡。他にも3名の重傷者が出た。この時、巡査に火炎瓶を投げたのが、大坂正明である。

 

 

中村巡査、気の毒ですね

これを無罪とか、完全いかれてる