鞭を推奨している出版物 | はなこ

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元JW1世。
褒められると伸びるタイプw

1933年

『児童虐待防止法』という法律が制定

 

1947年

『児童福祉法』が制定 『児童虐待防止法』が廃止

 

1972年

*** ものみの塔 72 1/15 47‐48ページ お子さんは問題をあなたに打ち明けますか ***
25 教訓が所期の目的を果たすには,矯正のための懲らしめを伴わねばなりません。子どもを懲らしめることは,幼児のときから始めてください。

26 懲らしめを施すさい,むちを用いることを躊躇しないでください。

 

1973年
*** ものみの塔 73 12/15 748‐749ページ 子どもにはどんな訓練が必要ですか ***

ここで言う『懲らしめ』という語は,人を形造り矯正するための訓練という意味を含んでいます。それには,子どもが自然にそれに従うようになるまで,幾たびも繰り返し教え諭すことが伴っています。しかし,懲らしめにはさらにそれ以上のものが含まれます。たいていの親がよく知るとおり,子どもはただことばだけでは行ないを正さない場合が少なくありません。(箴 29:1719)それゆえ,懲らしめを伴う訓練の課程の中には,ときに懲罰や処罰を与えることも含まれます。それは,子どもを正すことを目的として施されるものです。

 

 

1974年

*** 目ざめよ! 74 10/22 14‐15ページ 子どもに対して何を行なえるか ***

懲らしめはことばで正す以上の形を取ることが時に必要です。

そうです,しりをぴしぴしとたたくことを含め,自分の子どもを正すために親がなんでも手を尽くすことは,子どもに対する本当の愛の表われです。世の権威者たちは,懲らしめに関するこうした神の助言を退けていますが,そのことがただ家庭の問題を増し加える結果になっています。

(↑体罰を『神の助言』と言っている)

 

1976年

*** 目ざめよ! 76 11/8 10ページ 子供に対する虐待 それに関してあなたの行なえる事 ***

文字通りの「むち」を使って懲らしめることが必要になるかもしれません。しかし,親は懲らしめを与える際に決して自制心を失ってはなりません。

 

1979年

*** 目ざめよ! 79 8/8 29ページ 子供に体罰を与えるのは正しいことですか ***

しかし,愛ある懲らしめには,親がおしりをたたくことも含まれますか。神の言葉は,それが愛の一つの表現として行なわれ,愛に調和した方法でなされるなら,確かに愛ある懲らしめに含まれると述べています。

ここに言及されている「杖」は,親から与えられるさまざまな形の懲らしめを指していますから,もちろん,体罰も含まれます手で行なうにせよ,ものさしや他の適当な「杖」で行なうにせよ,親は愛を込めて子供たちを訓練する際に,体罰を与える権威を神から与えられています。

 

1980年

*** ものみの塔 80 5/15 27ページ 箴言―わずかな言葉で言い表わされた豊かな知恵 ***

時には口だけの言葉よりももっと強固な懲らしめが必要とされる場合もあります。

 

1981年

*** 王国宣教 81/1 2ページ 弟子を作るのに助けとなる集会 ***

場面3: 王国会館に遊び道具を持って行くことを許されなかった子供がかんしゃくを起こす。考慮された聖句: 申命 21:18(わがままな態度は反抗へと進み,重大な結果になりかねない)。申命 31:12(小さな子供たちでも,集会で聴いて学ぶべき)。箴 22:15; 23:13,14(罰として身体的なむちが必要な理由)。

 

1982年

*** ものみの塔 82 1/15 17‐18ページ 家族としてエホバに喜ばれるものになる ***

親はまた必要な時に矯正のむちを用いることも要求されています。

 

1983年

*** 王国宣教 83/5 3‐4ページ 1983年「王国の一致」地域大会 ***

子供をお手洗いに連れて行くために,また懲らしめを与えるために親が席を立たねばならない時があります。どうぞできるだけ静かにそうなさってください。

 

1985年

大ちゃん事件

 

1989年

『児童の権利に関する条約』が国連で採択子どもの権利がうたわれると、日本は法整備の不備から条約を批准していませんでしたが、1994年に批准をしました。

 

 

1992年

目92 9/8 26–27ページ聖書の見方「懲らしめのむち棒」― それは時代後れですか

聖書は体罰だけを認めているのでしょうか。次の助言を考慮してください。

親の権威に言及する際,「むち棒」は体罰のことだけを述べているわけではありません。それはあらゆる形の懲らしめを包含しており,大抵の場合,体罰である必要はないのです。そして身体的な懲らしめが与えられるとすれば,それは普通その他の方法では成功しないことが分かったためです。

今日,親の権威の「むち棒」を誤用している人が多いのは嘆かわしいことです。

「苦しみを乗り越える: 児童虐待を受けたことのある大人たちのための,そして彼らに関する本」と題する本は,次のように警告しています。「お尻をたたくことは,けがをさせるほどの力で手加減することなく与えられる場合,児童虐待となり得る。たたくための道具を用いたり,握り拳でお尻をたたいたり,非常に幼い子供をたたいたり,傷つきやすい部分(顔,頭,おなか,背中,陰部)をたたいたりすると,体罰が児童虐待になる可能性は大きくなると考えられる」。

(↑鞭に関しての定義が揺らぎ始めている)

 

 

1994年

せっかん死

 

1995年

サリン事件

 

1997年

児童福祉法』が改正

 

2000年

『児童虐待防止法』が制定され虐待の定義、通告義務が規定され、本格的に社会問題としての子どもの虐待がマスコミ等を通じて議論されるようになりました。

 

 

なぜ2世はムチなんだ?後編 (exjw2.org)

 

 

追加です。

コメントにも載せましたが、私調べですが1990年以降、はっきりとした体罰を推奨する言葉が書かれなくなり、変わりに 『懲らしめ』という言葉を使っています。  『懲らしめ』という言葉をどう受け止めるのか、これが信者は体罰を意味すると思って行うこともあったり、逆にWT側からしたら、「虐待を推奨はしていませんよ」と言い逃れできるようなニュアンスになってると思います。