5月10日、ボランティア仲間たち10人で岸和田城と貝塚水間観音に行って来た。岸和田は私の高校時代を過ごしたところであり、水間観音は小中学校時代の校区の中にある。
まず、南海線の蛸地蔵駅から歩いて5分ぐらいで岸和田城の濠端に出る。そこから時計の逆周りに城のまわりを歩いて観覧して回った。
岸和田城(別名・千亀利城)
まず最初は岸城神社(きしぎじんじゃ)。この神社は岸和田城下の総鎮守。だんじり祭りの宮入り所としても知られている。
濠の周りの小道を散策。昔はこの道はなかったが、地図によると平成の犬走りといわれているそうだ。
正面は私の母校・岸和田高校。周辺は閑静な住宅街で、当時はそう思わなかったが、いい場所にある学校だと思う。左の木立の左側に高校のグランドがある。
お城を挟んで高校の反対側に回ると、岸和田城の城門(大手門)に出る。
岸和田城は岡部氏13代の居城、尼崎城とともに大阪城防衛の任務を課せられたと言われる。
城門があるこちら側がオモテ(?)。ウラにあたる岸和田高校側にも橋が架けられていて、市立図書館として利用されていた天守閣によく行ったものだ。今は橋が取り払われ、石垣の階段だけが残されている。
城門をぬけて本丸に入るとまず目につくのは岸和田城庭園「八陣の庭」。
八陣の庭は、現在、国指定の名勝になっている。設計・作庭は重森三玲(しげもりみれい)、私が高校に通学していたころに造られていた。伝統的な日本庭園になかった独創的なデザインで、現代庭園の画期となった作品、諸葛孔明の八陣法を模したと言われる。(この写真の上部に海が見える、それが大阪湾。空気が澄んでいると、天守から中国山脈や淡路島、関西空港までが見える)
岸和田城のあと「だんじり会館」に入った。だんじりの曳行の映像や大屋根・小屋根を外してだんじりの内部が良くわかるようにした展示がたくさんあった。
会館をでると、昼食は五風荘でとった。あまり贅沢な食事ではなかったが、綺麗な庭を見ながらの食事で、少しだけ贅沢な気分になった。
五風荘はもと藩主の住まいのあった場所を、明治維新後、関西財閥の寺田家が手に入れ、別邸を建てたそうだ。今は岸和田市が所有、市が指定管理制度で結婚式や食堂などの営業をしている民間会社に貸している。
五風荘、庭と食事処。
岸和田城がよく見える場所に撮影場所を設けてあった。(この写真にはモザイクを掛けていたが映っている仲間たちがその必要がないと言うのではずした)
最後に再び南海線で蛸地蔵駅から貝塚まで乗車(3分)、貝塚から水間電車で水間観音(乗車15分)へ。行基が建てたという郷里の寺に参詣して帰った。水間観音周辺は写真撮影をうっかりして、本堂しか撮れなかった。
水間観音本堂
私は40年ぶりぐらいに来たが、小中学校時代ここで遊んだ当時の記憶が蘇って非常に懐かしい思いがした。