小泉八雲 | よしやんのブログ

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法隆寺は奇跡の寺。謎の寺。不思議がいっぱい。
この寺と斑鳩の自然、文化遺産を後世に伝えたい。

 山陰旅行の仲間達は、松江の小泉八雲旧邸に行きました。

 八雲の旧邸(松江市)

 

 中学校で習って知っている人が多いと思いますが、小泉八雲はラフカディオ・ハーンというギリシャ生まれのイギリス人で、1890年40歳のとき来日、日本で英語教師として教鞭をとりながら、欧米に日本文化を紹介する著書を多くの残しました。

 

書斎と庭。

 

八雲は「怪談」「耳なし芳一」「雪女」など、日本の古典を題材にした物語を多く書いているが、それらはこの書斎で書かれたと説明されている。

 

 来日の翌年、小泉セツと結婚、県立松江中学で英語教師として日本での生活を始めました。6年後の1896年(明治29年)には、帰化して日本国籍を取得。のち熊本の第五高等学校(現熊本大学)の講師、さらに東京帝大の講師などをつとめました。この間、多くの物語も書いています。

八雲と妻セツ。

八一は16歳のとき、事故で左目を怪我して失明したため、写真を撮るときはいいつも右側の顔が写るようにしていた言われる。

 

 54歳の時、東京帝大を辞め早稲田大学英文科の講師に就任しますが、僅か9か月ほどで狭心症の発作で死去しました。

 早大講師時代、当時英文科の学生であった會津八一は小泉八雲の講義やギリシャの話を聴いて深い感銘を受けたといわれています。

 ずーとのち、早大教授となった會津八一が教科書などをあまり使わず、学生にギリシャ神話や星の話などを語って教えたといわれるのは、たぶん八雲の講義に感銘を受けたからだと思います。

 

(早稲田大学の會津八一記念館には、小泉八雲の書簡や、のちにち画家となった息子の小泉清のスケッチ絵などが残されている)

 

 小泉八雲の旧邸(松江)は国の史跡に指定されていますが、他に熊本や、よく行った焼津にも八雲邸や記念館があります。


熊本の小泉八雲旧邸(県指定史跡)

 

焼津市の小泉八雲記念館

 

以上です。ここまで読んでいただきありがとうございました。