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ヨゴネゴ~二日酔いの僕へ~remix

日常の矛盾に鋭いメスを入れる社会はBlogである。

ウン、うそ 
だってムリ 

こんな二日酔いの脳みそからコボレ落ちた言葉の備忘録です。

**筆者の狭い見識に基づき書かれております**

2、ヲタクの台頭-死に至る病、そして-

1990年前後、宮崎勤による連続幼女殺害事件により"オタク=気持ち悪い、社会不適合者、ロリ"というマスコミのプロパにより、世間一般に"オタク"のマイナスイメージが固定化された。
その頃、モラトリアムの住人は何をしていたかというと・・・

 "801(ヤオイ)"に熱狂していた。

"ゴッドマーズ"の流れか、"聖闘士星矢(セイントセイヤ)"や"キャプテン翼"等の少年週間ジャンプに連載されていたを漫画をマネ(アニパロ)て、その登場人物(男×男)同士の熱い友情が・・・いや熱いカラミが描かれた同人誌がブームを迎えていたのだ。
この時期、"オタク"の画力が上がった事と平行し、コピー機の普及、その性能の向上により"同人誌"ブームが到来していたのだ。

もちろんマスコミ各社は、このムーブメントを報道し"オタク"が常軌を逸した集団であるかの様に印象付けようとしていた。
しかし、モラトリアムの中の熱は納まるところを知らなかった。

 そして、溜まりに溜まりきった熱は外へ放出されることになる。

1995年「新世紀エヴァンゲリオン」の放映である。
当時"オタク"の間で非難が多かった作品であったが、なかなか全貌を語られない世界観の魅力に"オタク"は引き込まれていった。
賛否両論の幕引き、そして1997年の劇場公開。連日できる長蛇の列にマスコミが食いついた。
最初は叩くつもりであったと思うが、勢いに押され有効的な報道へと変わっていった。
ジブリ作品の影響も大きいと思うのだが、メディア関係者にかつての"アニメファン"が多くなったのも一員だと考えられる。
こうした相乗効果により興行成績があがり。やがて一般の人に見られるまでになった。
しかし、その内容の複雑さの為か解説本や解説特番が組まれるようになり、オタク産業なる言葉まで出現した。
こうして社会現象となり、世間一般に受け入れられ資本主義活動に取り込まれるようになっていった。

 それが、モラトリアムの終焉につながるとも気づかずに
**筆者の狭い見識に基づき書かれております**

最近"ヲタ=キモイ"と言う事で悩んでいる若者が多いらしい。
確かに"オシャレ"とか"モテ"とか"3次元"と対極にいるのが"オタク"というのがコンセンサスを得た認識ではないだろうか?
また、マスコミに取り上げられる"ヲタ像"というのは"ケミカルウォッシュ&バンダナ&ナップサクにアニメポスター"といういでたちで(意図的に?)表現されることが多い。

しかし、最近のヲタの中に"こじゃれヲタ""モテヲタ"が出てきているのも事実。
オタクのためのファッション誌"Beth"の創刊も、こんな微弱電波を拾った雑誌社が前人未到の(無謀な?)旅に出るのもうなづける。
また、世界で日本の"オタク文化"が取り上げられ、ある種のムーブメントを起こしている。
こんな現在、ヲタクのパラダイムが崩れようとしているのではないだろうか?
そこで"スーツ着てても心はヲタク"な僕から見たヲタクについて少しまとめてみようと思う。


1、ヲタクはじめました。-デカルチァな衝撃-

"オタク"の語源を知っている人は、30代以上なのではないだろうか。少しオタクの歴史について語ってみよう。

"オタク"という言葉が出来る前に"大人になってもアニメ(マンガ)大好きなお茶目な人々"をどう表現していたかご存知だろうか?
大概は"アニメファン"あるいは"アニメマニア"と呼ばれていたのです。
そんな彼等に市民権があったかというと"ネクラ(死語?)"や"変態・変人"のレッテルを貼られて、今と大してかわらない状況でした。
彼等の世界を共有出来る人たちが少なく、ひっそりと個人的な趣味としてなんとなく放置されていたのが現実だったと思います。

しかし、"宇宙戦艦ヤマト"や"機動戦士ガンダム"の出現によりアニメファンの裾野が広がり、学校に2,3人だったアニメファンもクラスに1,2人とその割合を増やしていったのです。

 そして1982年-運命の年を迎えます。

「超時空要塞マクロス」が放映されたのです。
このマクロスシリーズの第1作目に登場した主人公一条輝の2人称が "おたく" だったのです。
その自分と他人との間にどこか区切り敷いたような言葉に、アニメファンと一般の人との乖離を感じ取ったのか,"アニメファン"間に一気に広まりました。(*"おたく"の起源はSF同人というのが一般であるらしいです)
"おたくには分からない""おたくは、そうかもしれないけど"・・・等と使っているうちに、アニメファンは次第に周囲からこう呼ばれるようになりました。

 "来たよ、オタクが"(軽い侮蔑を含む)

こうして、"オタク"というモラトリアムの卵殻に"アニメファン"は引篭もっていくのでした。
"アンテナ22"に"押切もえ"が出ていた。
新雑誌の立ち上げの為にあの細い体のどこに12時間もの撮影に耐え、また笑顔を持続させる力があったのだろうか。そのプロ根性にすごく感動をした。
実際、電車の中刷りや書店の店頭で彼女の事を見ていたが、実際に動く彼女を初めて見たのは"情熱大陸"だったと思う。モデル復帰のころの話だ。
この番組によって"押切もえ"の印象がずいぶん変わったのを覚えている。
死んでしまった彼への想いと復帰する際の意気込みを重ねて使えようとする構成だったからなのかもしれないが。"ホットロード"的な何かが僕の中に残った

同じように"情熱大陸"に取り上げられたモデルに"SHIHO"がいた。
"SHIHO"がなぜ"SHIHO"かと言うテーマで語られるナレーションに深く共感した。
なぜなら、僕の思う"SHIHO"も感覚的で、非常に文章にしづらいからだ。
モデル独特のテンション、一見で美人かそうでないか判断しづらい顔立ち、彼女独特のポーズ。
ある日見た新聞折込のスーパーのチラシに"SHIHO"がニッコリと\3、800-の婦人服を着て写っていても僕は驚かないだろう。
また、とあるモデルオーディション番組で"足を引っ張れる人の足は引っ張って這い上がったんだよ"っといつもの笑顔で正々堂々と言った彼女。
そんな彼女が一番好きなモデルであることは間違いない。


 では、なぜ今"押切もえ"が気になるのであろうか?


名前を聞くたびについつい視線が向いてしまう。
これは僕の中のモデルに対するパラダイムシフトが起こっているのだろうか?

 押切もえ
 おしきり もえ
 オシキリ 萌え!

 あっ!


どこまで行っても"萌え"好きな僕です(エヘ☆←70年代の漫画風味で



*追伸:アンテナ22のエンディングで姉Canのメディアミクス戦略がミエミエでメチャ萎えでした。