ドクン...

 

心臓の鼓動が鈍く鳴った。

大和西大寺駅の手前で。

 

献花用の花を買おう。

 

駅構内に花屋さんがあるらしい。

事前にネットで調べておいた。

 

「花が心の痛みを癒せるのなら」

ありがとうございます。

 

 

百合の白い花だけにしようかと思ったけれど、

近くにあった白と紫とピンクの花が混じったものにした。

何となくしっくり来た。

ピンクの花はまだ蕾だった。

 

改札を出て2階から下を見た。

テレビ等で何度も見た現場がそこにあった。

 

涙が溢れ出ようとしてくる。
それを抑えながらしばらく眺めていた。

 

階段を降り道路を渡ろうしたその時、

「ちょっと待ってくださいね」と声が掛かる。

 

交通整理をしてくれている警察官の方だ。

心の中で「ありがとうございます」と呟いた。

 

「どうぞ」の合図と共に道路を渡った。

 

一角には少しばかりの人だかりが出来ていた。

安倍元総理が立たれていた方角に向かって

何人もの方が手を合わせられていた。

 

その前を通り、献花台の方へ向かった。

献花台の列はそんなに長くはなかった。

すぐに順番が回ってきた。

 

安倍元総理の微笑む写真に花を手向け手を合わせた。

 

それから安倍元総理が応援演説されていた場所へ。

手を合わせた。

涙がボロボロと零れ落ちていく。

 

ここに犯人が居たのか!そこから機会を伺っていたのか!

憎しみに似た感情が薄っすらと沸いてくる。

しかし、それよりも少しでも歯車が狂ったら、噛み合わなかったら

(この表現は適切でないかも知れないけれど)

この事態は避けられたのにという思いが大半を占めた。

 

悔しさが滲み出てくる。

そうだ。悔しいのだ!悔しいのだ!悔しいのだ!

防げたかも知れなのに。

きっと多くの人がこんな思いを抱いているんじゃないか。

”歯車が嚙み合わなかったら”というのは、その日の当日の事だけではない。

もっと過去の何か1つでも違ったらこういう事態は防げたんじゃないかという思い。

何を変えたら良かったのか?

何を?

そしてまた同じ事を起こさない為に何をどうしたらいいんだろう?

 

答えは今も見つけ出せていない。

 

献花を終え駅への階段を上った。

2階からまたしばらく安倍元総理が居た場所を眺めていた。

 

実際に一度もお会いした事はないけれど、

安倍元総理の笑顔が心に焼き付いて。

とても大きい存在だったんだなぁと。

ぶり返す悲しみはまだ暫く続きそうだ。

安倍元総理のご冥福を心よりお祈りいたします。

日本国家の為にご尽力いただいた事、たくさんの笑顔ありがとうございました。