須磨寺副住職 陽人のひとり言 -16ページ目

須磨寺副住職 陽人のひとり言

生きるための仏教を求めて

こっちは涼しい日が続いてますが、みなさんいかがおすごしでしょうか?


仕事が終わるとついオフモードにはいってしまい、

なかなか、やらなきゃいけないことがすすみません。。


そう、僕は昔っから大のめんどくさがりなのです!


「めんどくさい」が人間の一番の敵かもしれません。



中学のときの大好きな国語の先生が言ってました



「めんどうのないところに、感動はない」


うん、がんばろう


明日はお寺の地蔵盆です。




早起きだーーー


おやすみなさい




陽人

「価値観をリセットしよう」


これは、僕が大学受験の年の、某宗門大学の学校案内パンフレットの表紙をかざった言葉である。


このタイトルすごいな!って感じた。


仏教では、心の平安を得るために、修行をして、知恵を獲得していくのですが、

心の平安をえるためには、まず、今まで自分が築きあげてきた、

知識や経験、そして価値観を疑うところから始めなければいけません。


「幸せとはなんなんだ?」

「かっこいいってなんなんだ?」

「成功って何?」

「勝ちってなに?」











自分てなんなの・・・・?









答えのないことだと思います。

でも答えをわかったような気になっている瞬間があると思います。



それは、危険です!

無明(知恵のない状態)です。


自分のことがわかったような気になった時、

おごり高ぶった時、

過ちをおかしてしまう。


お釈迦さんは、

「愚かさ(無明)が不幸の原因だ」


聞いた話で例をだしてみる。

新聞での人生相談。

「テレビで占い師が、あるタレントの名前の字画を占って早死にすると言っていた。

私もそのタレントと字画が一緒だった。私も早死にするのか恐くて仕方ありません。

どうすればよいでしょう?」

それに対する回答

「占いで短命というなら、その事実を受け止めて、短い時間を精いっぱい生きてみてはどうでしょう。

人の人生、長さより質です」


おいおいおいおいおい、

そんなこと言われたら、本当にショックで早死にしちゃいそうだよ!


邪悪な占い師、神秘にとりつかれた相談者、無責任な回答者


不幸になる原因はどこにもないはずが、

この三者が一緒になって不幸をつくりだしている



これが無明だ。


これは極端な例だけど、

僕らは知らない間に

不幸の原因を自分で作り出してしまう



悩んだ時は、


ちょっとまって、、本当にそうかな?



と、たちどまって考える




あ、こんな時間です


おやすみなさい!

今日は雨でしたね。

気温も低くて涼しい一日でした。


あ、そうそう、日大三高が優勝しましたね!

高校の時は何回か練習試合に行ったなぁ。

あ、もちろん僕はサッカーです。


日大三高があるところは、かなり田舎で坂道が多い、しかもやたら傾斜がきついんです。

あの坂をトレーニングで走ったりするんだろうなぁ。

きつそ~ww

僕も高校の時のサッカーに明け暮れた日々は宝物だ。

辛い練習もあったし、いろんな問題も起こったり、

いろいろあったけど、まさに青春!

今となっては、楽しい思い出ばっかりが浮かびます。

やっぱり、部活やってる以上は勝ちを目指してやってたし、

全国優勝のチームなんか、すごいと思うし、めっちゃめちゃ羨ましい


それで、お寺で甲子園の優勝のニュースを見ながら、

「すごいなぁ~」って僕がつぶやいたら、

隣におられた老僧の方が、

「かわいそうだな。えぇ?かわいそうだよ。こんなに若い時に成功しちゃったら」


ん・・・?かわいそう??

そんな考え方もあるのか・・・

人生のピークは最後にもってこないと


池上永一さんの小説で「風車(かじまやー)」という本がある。

かじまやーとは、沖縄の生年祝いの一つで、97歳まで元気でいると

童心に還るといわれ、風車をもって村中を行列する。


小説にでてくる、強烈なおばぁは、長生きすることを、

生きるうえでの、優先順位でなによりも一番にしている。

まさに、人生のラストステージ(かじまやー)が人生で一番輝く時なのだ。


この小説は、笑えるし、泣けるし最高です。

ぜひ読んでください。


老僧のお言葉から、僕はかじまやーにでてくるおばぁを連想した。

沖縄の老人を敬う文化が僕は大好きだ。



定年退職して、仕事一筋でやってきた人が、急に生き甲斐をなくしたり、

地域の中で孤立して、その結果の孤独死だったり、


こういう話を聞くと、現代の日本社会は

地域の中で、みんなが老人を敬うという文化が薄れてきているのかもしれない。


いつの時代も歳をとることは辛いことだ。

なにしろ、人間の体が年とともに、衰えていくのは

避けがたいサダメであり、苦しみである。

体は衰えていくが、心はどうだろう。


老人は、自分の体の衰えと向き合う中で、

元気はつらつな青年にはわからない

「生きることの本質的な苦しみ」を日々感得していく。

肉体が衰えてゆき、生きる辛さを知っているからこそ、

心には、深い優しさがでてくるのだと思う。


「苦しみを感じ取る力がこころを磨く」


というわけで、老僧の「かわいそうだなぁ」

という言葉には繋がるかどうかわかりませんが・・・(笑)


年をとっているだけで尊敬される社会


「老いることの豊かさ」

を感じられる社会に僕は憧れます