こんにちは。

48-25、本藤理子と申します。団体戦応援に参加できず、家で空いた時間に見ていると、去年の光景が蘇えります。各大学のトップが極寒の中戦って、それをみんなが息を呑んで応援して、自分の大学の人が走ったりカメラに映ったりするとほんとに嬉しいこの感じ、なんだか全部の予定をぽいっとして応援参加すればよかったと、あとウィンドやりたいなと感じました。1日目の夜、興奮してしまって心臓どくどくして寝れませんでした。ほんとにみんなかっこよかったです。エネルギーもらいました。


他の同期が引退ブログで言っている通り数々の思い出と経験、そして出会いがありました。特に横国で先輩として同期として後輩として出会った人と過ごした時間は私の宝物です。ほんとにこれまでの引退ブログに書いてある振り返り全て自分に当てはまっているのでこれ以上もう言うことないくらいです。後悔ないです。ウィンドに入ってよかったです。

なので最近考えていることをメッセージとして書きます。


みんなは今自分が横国に通ってることやウィンドしていること、もっと過去のことでも「自分で決めた」経験はどのくらいありますか?

私は過去を振り返ったとき、「自分で決めた」経験がほとんどなかったんです。

寮の後輩に「りこさんって、他人の目もないとして、金銭的にもなんも制限ないとしたら何がしたいとかあるんですか?」て聞かれたとき「おいしいご飯とよく寝れる場所は必要だよね」しか頭に思い浮かばず、やりたいことが答えられなかったんです。

振り返ると小学校でやってた習い事、中学校のときに決めた高校、高校のときに決めた大学も諸々の決断はすべて親を中心とする大人が指し示す方向に従って動いていました。その方が自分のやりたいことを考えるよりも、それを行動に移して自分の弱さや出来なさを知るよりも失敗したとしても誰かのせいにできる生き方が楽だったから、自分の中に他人を染み込ませて生きてきたんです。この生き方のもっとまずいところが成功も他人のおかげとかまだ完璧じゃないとしか思えないようになってしまうところです。他人の軸で他人の評価のために生きていたことで完璧主義や自信喪失してしまう自分が今もいます。

大学生になって、親元を離れて自由時間が増えたことで自分で決めることが格段に増えました。毎日何を食べるかという小さなことからバイトや部活、ゼミ、どの会社に応募するか、将来何をして生きるかなど大きなことまで色々自分で決めるチャンスがあります。(これ自体が社会に決められたレールな気がしてますが)それでも私は親が喜ぶことや周りに評価されること、羨ましいと思われることを基準に選んだことがいくつもあります。(私の基準は親に事後報告したものは自分で決断できたことだなと考えています)そして周りの評価=結果と自分の現実の差に苦しんだ経験も数えきれない程あります。

ウィンドも入部は自分で決めましたが、2年生の終わりの頃まで、結果と周りとの差に苦しめられていてしんどかったです。

でも7月のドリームごろを境にウィンドで29/69位以上をとることよりも沖縄に行って綺麗な海で同期とウィンドする!とかおいしいご飯を食べる!などなんていうか本当に自分の欲しいことの手前に結果が必要という考え方に変わっていました。そういう風になると自分が本当に欲しいものに対して人間は貪欲に着実に進んでいけるのかもしれないと思います。

何が言いたいのかわからなくなってきたんですが、ウィンドも海面選択やセッティング、そして何を目指すのかは最終的に自分が決める方がいいと思います。誰かの真似をしたり、ついていったりすることは手段であってそれが目的ではないんだと思います。そうじゃないと苦しい時間が多いのではないかと思います。自分で決めるから毎朝起きることも、寒い練習も、悔しい思いもどこか嬉しいんです。本当に自分で決めた目的のためならできると思います。今立てている目標と気持ちがズレてるなら自分に向き合うことを面倒に思わず見つめて欲しいです。見つめた上で決めたことならきっと大丈夫です。みんなこれから頑張って!ずっと応援しています。個人的にはミセスの「僕のこと」という名曲もおんなじことを言っている気がして響きます。


最後に、私の好きな言葉で、「喜怒哀楽の絶対値が人生の豊かさ」という言葉があります。自分の決断で自分に起こる感情は確かに苦しくても嬉しかったりします。そんな風にまず残りの1年間の大学生活、そして少しずつ自分を隠さず、素直に生きていきていきたいです。

ほんとに毎回長い文章で、内容もウィンドから離れましたが私はウィンドの思い出絶対忘れないです。出会った人も忘れないです。大好きです。本当に素敵な時間をありがとうございました。


48-25 本藤理子