『永遠の0』
発行日:2006年8月23日
著者:百田 尚樹(1956年〈昭和31年〉2月23日 - )
この座談会は想像によるフィクション(二次創作)です。
※本記事の構成・対話案の作成にはAI(Gemini)の協力を得ています。
座談会 p7(2006年9月某日 銀座のクラブ)
出席者:
池波 正太郎(1923年〈大正12年〉1月25日 - 1990年〈平成2年〉5月3日)
遠藤 周作(1923年〈大正12年〉3月27日 - 1996年〈平成8年〉9月29日)
司馬 遼󠄁太郎(1923年〈大正12年〉8月7日 - 1996年〈平成8年〉2月12日)
三島 由紀夫(1925年〈大正14年〉1月14日 - 1970年〈昭和45年〉11月25日)
野坂 昭如 75歳(1930年〈昭和5年〉10月10日 - 2015年〈平成27年〉12月9日)
石原 慎太郎 73歳(1932年〈昭和7年〉9月30日 - 2022年〈令和4年〉2月1日)
(ここで、カウンターで静かにグラスを傾けていた野坂氏(75歳)と石原東京都知事(73歳)が、ソファ席へと合流。座談会はさらに熱を帯びる)
野坂:
(濁った声で笑う)
……三島さん、「不純な生」ですか。恐れ入りました。僕は、その「不純」を通り越して、ただの「汚辱」の中にいましたね。1945年、神戸の空襲で養父を失い、福井へ疎開して、そこで下の妹を栄養失調で死なせた。……西宮の防空壕で、妹の骨をしゃぶるような思いで生きていた私からすれば、宮部久蔵の「家族への愛」なんてものは、あまりに上等すぎる、まぶしすぎるんです。
石原:
(野坂の言葉を遮るように、しかし敬意を込めて)
野坂さんの「焼跡」は確かに凄惨だ。だが、僕の見ていた湘南の海も、別の意味で乾いていた。僕は当時13歳、逗子でしたね。サッカーに明け暮れ、ラディゲやコクトーを読んでいた。僕らにとっての戦後は、価値観がひっくり返った祝祭ではなく、ただ巨大な空虚が太陽の下に晒し出された時間だった。だから、この『永遠の0』を読んだ時、僕が一番に感じたのは「生理的な苛立ち」ですよ。
池波:
(新客二人に酒を注ぎながら)
ほう、石原さん。その「苛立ち」とは?
石原:
この小説の正義は、あまりに「機能的」すぎるんです。宮部は生き残るために最善を尽くし、最後は次世代のために死ぬ。計算が合いすぎている。僕が『太陽の季節』で書いたような、理由のない暴力や、行き場のないエネルギーの爆発……つまり「生の無駄遣い」という特権が、この物語には一切排除されている。歴史を「納得できる物語」に書き換えてしまうのは、文学の堕落ではないか。
野坂:
(グラスを煽る)
石原さんの言う通りですね。僕は妹を死なせた贖罪のために『火垂るの墓』を書いたんですね。けれども、あれは「可哀想な物語」なんかじゃなくって、自分自身の、救いようのない「業」の記録なんです。……宮部は「仲間のために身代わりになる」というけれども、実際の戦場や焼跡には、そんなヒロイズムを支える余裕なんてなかったわけです。隣で死んでいく人間を「あ、これで俺の食い扶持が増える」と一瞬でも思ってしまう……その「恥」こそが、僕らの戦後だったはずなんです。
司馬:
(野坂の「恥」という言葉を反芻するように)
野坂さん。あなたはご自身のことを「焼跡闇市派」と仰る。そこには、整合性のある歴史観では捉えきれない、ドロドロとした人間の実相があるわけだ。……確かに、この著者は「零戦」という精密な機械の性能を描くように、人間の情愛もまた精密に描こうとしすぎたのかもしれない。
遠藤:
(野坂と石原を見比べながら)
石原さんの「太陽の下の空虚」と、野坂さんの「防空壕の業」。そして三島さんの「人工的な美学」。……こうして並べてみると、『永遠の0』という作品が、いかに「戦後の清潔な良心」によってコーティングされているかが浮き彫りになるなぁ。
三島:
(石原に向かって、不敵に目を細める)
石原君、君が「生理的な苛立ち」を感じたのは正しい。この小説には、我々が知っている「死の匂い」がしない。ここにあるのは、現代の読者が安心して泣けるための「滅菌された死」だ。野坂君が妹さんの骨を抱えて放浪した時の、あの救いようのない「生臭さ」こそが、本来の歴史の手触りだったはずだ。
野坂:
(照れ隠しに声を張り上げる)
三島さん、あんまり煽らないでくださいよ。僕は少年院帰りです。でもって、実父が新潟県副知事だったなんて経歴も、戦後は隠して「戦災孤児」を気取っていた詐称者でした。……けれども、その「嘘」を吐かなきゃ生きられなかった僕らの世代からすれば、この本の宮部は、あまりに「嘘がない」ことが、最大の嘘に見えるんです。
(つづく)
