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真実一路を悠々と

自分のペースで一歩一歩

9月5日から付属小学校での教育実習第二弾が始まります!


うちの大学は6月に一週間、9月に3週間と変則的な実習。


すでに一週間行っているので、

変な緊張感みたいなものはないのですが、


子どもたちの授業を受け持つということで、


授業として成り立たせなければならないという責任感と

自分がどこまでできるのかという不安感


をひしひしと感じているのが現状。



授業以外の部分(子どもたちと話したり、遊んだり)はただただ楽しみでしかたないのですが、

授業に関しては授業をつくらなきゃ!という責任感からか本当にドキドキもんです。











最近、自分は小学校教師をやってみたい!という想いが日に日に強くなっています。


もともとは教育への違和感から教育に関心を持って今の大学に入ったため、

教師になりたい!とはあまり考えてなかったのですが、


サークルやがやっこ先生の活動で子どもと触れ合う体験を通して

子どもたちと触れ合うのってたまらなく楽しいな!って感じたし、


子どもが生まれながらに持ってる力をそのままに育んでいけたら素敵やな!って想うようになったり、、、


何で教師やってみたいと思ったかは、自分でもよくわかってないところが多くて、

上手く言えないのですが、


“小学校教師をやってみたい!!”と想ってる自分がいることは確かで、

それに向けて一歩ずつ進もうとしているのも確かなことです。









この小学校での教育実習で心がけたいのは「攻める」実習にすること!


成功の反対は何もしないこと


という言葉がありますが、


やっぱり何もせずして成長するなんてことはなくて、


たとえ上手くいかなくとも


その“経験”を通じて一歩ずつ成長していけるんだと思います。






何かと不器用な自分なので、

上手くいかないことたくさんだと思いますが、

一つ一つの経験を自分の糧にできるように、


真摯に、

そして

実習先の子どもたち、先生方に感謝の気持ちを持って、

精一杯取り組めたらと思います☆










8月24日~26日の3日間、「With us」という団体のサマーキャンプに参加してきました!

http://withus.p1.bindsite.jp/campaign/index.html


どんなキャンプかというと教職志望者or現役教職員が集い、

それぞれの教育観を語ったり、グループワークをしたりすることを通じて、

同じ志を持った人どうしの“つながり”をつくっていこうというもの。



今回のキャンプでは総勢80名ほどの「教育」を志す人たちが集まって、

互いの考えを共有し合いながら「教育」を深めていきました!!












このキャンプで印象的だったのが、なんといってもスタッフ、参加者の人柄の良さと教育への熱い想い。



ある現役英語教師の方は、「小学校英語の授業法がわからない」という人に対して、

実際に模擬授業という形で即興で英語の授業を披露してくださったり(これには驚いた!)



真実一路

         即興で小学校英語の基本となる授業法を実践



1日目と2日目の夜には、夜3時とか4時とかまで互いの教育観や自分自身のことなどについて語り合ったり


真実一路

              夜の2時半



あと素敵だな!って思ったのは“拍手”が起こることの多さで、


スタッフさんがワークの説明を終えたときや

一人ひとりの発表が終わったとき

誰かの落し物が見つかったときなど


自然と温かい拍手が湧きおこっていて、

参加者それぞれが互いのことを共感・受容できる“温かみのある”空間でした♪












このキャンプでは、3日間を通して「自分の理想の教師像」を描いていくのですが、

僕が、いろんな人と考えを交流させながら想い描いたのは


“自分なりの真摯な教育観を持ち、それを磨き続ける教師”です。



真摯さというのは、自分自身に対しての正直さ、考えと行動の一貫性のようなものなのですが、

そういった教育観を持つこと



なんで社会科の勉強をするの?という問いに対して、

学習指導要領に書いてあるからとか受験に必要だからではなく、


自分なりにその学習の意義を見出して、授業をデザインしていかなければ、

子どもたちの心に響いていかないと思うし、



自分なりの教育についての判断基軸のようなものを持っていれば、

たとえうまくいかないことがあっても、

その教育の判断基軸を修正・改善していくことでより上手いく考え方に近づけていくことができる(ない場合はそれができない)



さらには、教育の前提になってたような価値観が揺らいでいる現代においては、

これまで「当たり前」になっていたことが必ずしも通用しないため、教師自身が学校での一つ一つのことに対して、それが当たり前だからではなく、自分なりの意義を持っていく必要がある。


そのような理由で、一貫した自分なりの教育観を持ったうえで、子どもたちに働きかけることが重要なんじゃないかと考えました!










この3日間、感じたこと、考えさせられたこと、学んだことがあまりにも多すぎてまだまだ消化しきれずにいます。


あと10日ほどで小学校への教育実習が始まるので、それにつなげられるよう、しっかり内省して自分の中に落とし込んでいきたいです!☆



真実一路

                   施設周辺



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                   宿泊棟

真実一路

              クイズ大会の4班!

真実一路

      三日間を通してグループワークをやってきた4グループ!


今年の甲子園が終わっちゃいました!


自分は高校野球の大ファンで、



・常に高校野球誌を4つほど読んでいる

・朝起きたらまず高校野球サイトをチェック

・甲子園シーズンは、朝8:00ぐらい~夕方17:00ぐらいまで観戦して、そのあとも次の日の試合が気になりソワソワしてしまうため、他のことが何もできない


ぐらい大好きなのですが、


今年は特にスケールの大きい選手が多く(開星の白根くんは凄かった!)、特に見いってしまいました^^



今年は、9月に教育実習があることもあり、

やりたいこと・やるべきことが盛りだくさんだったのですが、

この15日間は甲子園に夢中になりすぎてほとんど手がつけられず、今となって反省しています(汗)


ホントにホントに熱くさせられた15日間でした♪










なんでこんなに高校野球に惹かれるのか


ふと思い返してみたのですが、それは中学での部活の後悔が大きいと思います。


中学生のときは、ソフトテニス部のキャプテンをやっていたのですが、

どこか本気になれない自分、周りに気をつかってしまう自分がいました。



“自分がやらなきゃ”っていうプレッシャーがいつもそばにあって、

テニスを純粋に楽しめてなかった。


キャプテンの重責とばかりいつも闘っていて、

自分のやるべきことが全然できてなかったように思います。


最後の大会が終わったあとの「もっともっと頑張れたのに・・・」という悔しさは

忘れられなくて、今でもふとしたときに思い出すことがあります。






そんな不完全燃焼だった部活動生活を送った自分にとって、

高校野球球児はまさに憧れの的。



自分がやり切れなかったことに今、全力で取り組んでいる球児たちの姿に心揺り動かされるし、

今でもなお惹きつけられてるんだと思います。










部活に関しては後悔してることたくさんなのですが、

過去はどう頑張っても変えられません。



変えられるのは今だけ。


過去の反省を活かして、今これから頑張っていくしかないと思います。




これまでの夏休み、だいぶ高校野球に時間を使ってしまったのですが、

その分、多大なエネルギーを球児たちから受け取りました^^♪


9月からの教育実習に向けて、

一歩一歩真っ直ぐに頑張っていきたいです☆











教育の目的・どういった方向性を持って教育していくのかということについて関心があります。


既存の前提となっていた価値観が揺らいでいる21世紀。


良い成績→良い学校→良い就職→良い人生というような望ましいとされていたことが、「本当にそうなのか?」と問われている今の時代において、教育はどういった方向性を持って行っていけばいいのか。


生徒の成績を上げることを目指せばよいのか

先生の言うことを聞けるようになることを目指していけばいいのか



正直自分でもよくわかならいところがたくさんで、

教育は何を持って成果とするんだろう?ということはよく考えることです。



そこで、今回の記事では、そのような教育目的や方向性を考えていくにあたって、参考になりそうな考え方を見つけたので紹介しようと思います。






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一身独立して一国独立する


これは一万円札の人・「学問のすすめ」を書いたことで有名であろう福沢諭吉の言葉であり、福沢が考える教育のあり方、国家のあり方を考えていく上で重要な考え方です。



近代において、教育は国家の発展の手段として用いられてきました。


産業を発展させるために、それに必要な資質を満たした人材を育てる

国民国家を形成していくために、国民としての共通の価値観、文化を身につけさせる


このように国家主導によって方向づけれた方向にそぐう人材を育成する手段として、

「全体」(国家)の側から「個」(個人)を見る視線によって教育を考えてきました。



しかし、福沢は逆のベクトルを持っていたと言えます。



一身独立して一国独立する


という言葉もあるように、国家独立のための必須の要件とはあらかじめ国家の側で準備できるものではなく、

むしろ国家が個々に独立した国民によって構成されることこそが肝心だと考え、


それゆえに教育の第一義的役割を個々人の独立支援と捉えていた。


「個」(個人)の側から「全体」(国家)を観る視線によって教育を捉え、“個”の独立を起点として、その個々人の智徳の発達の延長線上に国家の文明のありようを認めていました。



“個々人の独立”を教育の方向性として捉え、その独立した個人が互いに交際し、智徳を発達させていくことが国家の発展につながると考えていたと言えると思います。




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近代の学校教育においては、主に前者が採用されてきたわけですが、

僕自身としては、後者の福沢の考えの方がしっくりきます。



なぜなら次の2つの点から。


一つは、国家の方向性や政策が必ずしも正しいというわけではないと考えるから。


原発問題や年金問題が起こっていることからわかるとおり、

国がやること=正しいというのは、考えづらいと思います。


むしろ、政治というものが機能不全に陥っているというのが現状。


そういった時代にあっては、国家に帰属した、国家の方向性に見合う人材を育成していくよりは、

国家に依存せず、批評的、能動的に社会に働きかけられる“独立した個人”を育てていくことが重要なのではと考えます。



2つは、一人ひとり発達、生き方のゴールやペースが違うということから。


人間というのは、

一人ひとり生まれた環境や身体の大きさなどのスタート地点が違うとともに、

どう生きていきたいかといったゴールや進むペースというのも違う多様性を持った存在だと思います。



ですが、既存の教育ではみんな同じ方向性を持って、同じことを、同じように、同じペースでこなしていくことが求められるため、国家が示した方向性にあう人はいいかもしれませんが、当然合わない人も出てきて、

それが個々人の可能性を制限しているのではないか。



あくまでも教育は、1人ひとりが自分のゴールを自分のペースで進んでいくことを支援するためにあるべきで、

国家の側から必要な要件を与え、それを身につけさせるというのは、違和感が感じるところです。








以上、福沢の教育観と自分の教育観を少しですが、書いてみました。


福沢の教育観は共感するところが多くて、しかもドラッカーの思想と共通するところがあるので、

今後もっともっと深めていけたらと思います。



上記のは、「学問のすすめ」という本を読んで書いたものなのですが、この本は現代にも通じる普遍的な原理が多く詰まっているおもしろい本なので、すっごくおすすめです☆



学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)/福澤 諭吉
¥798
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福沢諭吉『学問のすゝめ』 2011年7月 (100分 de 名著)/著者不明
¥550
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今日は、慶應大学2年の高野さんという方が主催するCloud.Aという勉強会に参加してきました!


勉強会の内容は、イヴァン・イリッチの「脱学校の社会」というテキストを使って、

「学校制度は本当に必要なのか」を考えていこう!というもの。



Twitterでこういった勉強会が行われていることを知ったのですが、21世紀における学校の意義を根本から問うていきたいと考える自分にとっては、どんぴしゃりなテーマだったので、全く見知らぬ人たちの中に飛び込むことに不安を感じながらも思い切って参加することにしました!




脱学校の社会 (現代社会科学叢書)/イヴァン・イリイチ
¥1,785
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このテキストは難解な文章で書かれてて、理解しきれてない部分も多いのですが、

その中でも興味深かったのが、“学校化”という概念。



それを自分なりの解釈で説明すると、


学校化とは、制度と価値が必然的に結びつけられたものとして捉えられること。


例えば、

進級する=能力が向上したと捉えられたり、


教授が行われる=学習者の学習が促進されていると捉えられたり、


高い学歴を持っている=頭がいい、優秀であると捉えられたり、



実際には、進級したからといって必ずしも能力が向上したと言えるわけではないかもしれないし、

大学の先生が学生に教授したからといって、学生の学習が促進しているとは限らないし、

高学歴だからといって、優秀であるとは限らない(何を持って優秀と考えるかは議論の必要があるところ)


にもかかわらず、それを無批判に=で結びついたものとして捉えられてしまうこと

が“学校化”というもので、


それが社会全体に蔓延しており、それがあらゆる弊害をもたらしているのではないかということが著者のイリッチの問題意識だったと思います。




この“学校化”というものについては、自分も以前から考えていて違和感を持っていたところでもあって、


例えば、

「就職浪人」について言うと、


就職浪人というのは、新卒である方が就職に有利であるため、学校を卒業せずに意図的に留年して新卒条件を保つというようなもので、


新卒=就職に有利 という前提の下選択されるものだと思うのですが、


自分個人としては、かなり違和感のあるところがあって、


別に、就職できなかったからといって、

就職浪人をして大学にとどまろうが、

それをせず、そのまま大学を卒業しようが、


その人自身にだけ着目すると、なんら違いはない(就職浪人をしたからといって大学で勉強をするわけではないだろうから、そのまま大学を卒業した状態とそんなり変わりはない)


にも関わらず、実際どれほどのものなのかはわかりませんが、

前者の就職浪人をした人の方が、就職活動において優遇されるという現実があるとしたら、



やはりそれは実態とかけ離れたものであると考えるため、

おかしいというか、

もったいないというか、


自分としては違和感を感じるところで、


制度=価値とする考え方は自分は捨てていきたいなあと思うところでした。








勉強会自体は、すっごく新鮮で楽しかったです!


自分自身、自分の中にある考えを整理して、人に伝わる形で表現するということが得意でないので、


こういった議論の場を数多く体験していくことでもっともっと自分の“観”もそうだし、アウトプット力も磨いていけたらなあと思いました☆