ブログを読み返すことはほぼない、
(特に発覚当初の事は読み返せない)
から、書いたこともあると思うけど、最近夫と直接関わることも無いので、思い出す事ばかり。

2016年12月の日曜昼過ぎ。
電話をしてもしても繋がらなくて、確か電化商品が故障して、修理するか買うかの相談をしたかった、(この辺はもう曖昧)けど、本当に繋がらなくて。
本社勤務になってからは、日曜は休みなのは確定だったので仕事では無いはずなので、かけ続けました。
やり取りは忘れたけど、ラインがつながり、連絡がつかないことを私は怒り、喧嘩になり、もうおしまい、という私のラインを最後に、向こうはおしまい=離婚と勝手な解釈をしました。

当時17歳14歳11歳の子供達。
音楽を続けている長女を筆頭に、塾代や習い事が最前線。
学費としての出費は少なかったけど、それ以外のお金が半端なくかかっていました。
歯列矯正にも1ヶ月5000円〜✕2人も必要だったし、マウスピースとかもあり、もらっていた生活費だけでは足らずでした。もちろんパート代で補填。扶養範囲だった(夫の希望)ので約85000円しかなかったけど、ほぼ残らずでした。

この状況での離婚宣告。
離婚になったら子供はどうするのか、の問に
そんなん知らんわ、という冷たい言葉。

この頃からもう私の結婚した人ではなかった、狂っていた夫。

東京での一人暮らし、仕事の面白さや収入が多い人達との関わり、外資という事で外国人と仕事も多く、

俺って格好いい、出来る男

というのが夫の中で、勘違いが出来始めた頃かもしれません。

結局は2ヶ月後、話し合いをし離婚したくなければ、

俺には関わるな、放っておいて、ごちゃごちゃ言わんといて

を約束し、夫婦として表面上やり直します。

その翌年には女と出会い、2018年に不倫関係を始めています。

あの時離婚する勇気もなく、まあ、離婚するほどでも無く、そのうち帰って来るのだから、また夫婦としてやり直せば良いと思っていたけど、

夫の中では2016年12月の出来事で、いつか私との結婚生活を終わらせようとしていたのだと思います。