20年近く前に仕事がなくてヒマで仕方なかった時に戯れで録った6曲入りオリジナル楽曲集「塚田ヘンドリックス」は、予想に反して驚くほど多くの人々からの「歌がすごい良かったよ!!」「歌こんなにうまいんだ、感動したよ!!」「今度うちのバンドでも歌ってよ」といった絶賛と好評を全く博さなかった。「ギターはいいよね」「ベースはいいよね」ドラム以外は私が弾いている。そして歌っている。「歌うまいね」は言うまでもなく「歌いいね」さえ一度も言われなかった。このときほど助詞の「は」が私の心を焼き鳥のハツよろしく串刺しにしたことはない。
それから時間が経って下手の横好きで始めたバンド活動でも、ライブの後の感想はだいたい「面白かった!」「MC良かったよ」「さすが話はうまいですね!」
まとめると、私は歌がうまくない。希望的観測を含めて言い直すと、うまくなかった。
死ぬまでに一度くらい「うまい」と言われたい。こんなピュアなモチベーションに動かされて、私は1年以上ボーカルスクールに通っている。
今の私の熟達レベルがどのあたりにあるのかはわからない。けれども、今の私に先生が毎回指導してくださることを集約すると「息を吸うときが勝負だ」…ここが今の私の一番の壁だ。吸うときに少しでも多く吸って、それと同時に息の通り道を広くして太い息を出せるようにする。
昔読んだボーカルトレーニングの本にも同様のことは書いていた。そのためにどうすればいいかは私なりに努力はしていた。常日頃横隔膜を下げる意識をしたり、陸上アスリート用の呼吸筋を鍛える道具を使ったり、私なりにいろいろやっていた。どう吸うべきか。そればかり考えていた。
先生の答えは実に簡潔で、私の拙い努力の根底を叩き壊す実に気持ちのいいものだった。
「吐き切れていないから吸えないんです。」
なるほど、肺は極限まで息を吐き切れば自然に元に戻ろうとする。その時に力むことなくたっぷりと新しい空気を取り入れることができる。中途半端に吐いた状態で吸うには自分の意識と筋力の補助が必要になる。その結果、力む。だからフルに空気を取り込めなくなる。
つまり、呼吸は「スーハー」ではなく「ハースー」なのだ。
「吐き切れていないから吸えない」
ちょっと一般化してみると、「outputがないからinputできない」
英語を使う機会がないから英語ができない
人と交わろうとしないから友達ができない
お金を使わないから貯まらない
調べないからわからない
愛さないから愛されない
こういうアナロジーにはたいてい落とし穴がある。「歌と英語ってそもそも同じなんですか?」「愛ってそんな単純じゃないですよ」という疑義は生じるべきだ。だけど、何だかそこそこ腑に落ちる。outputがないからinputできない。なるほど。ならば、出さねば。
というわけで、長らく放置していたブログを再開します。これはそれを宣言するためだけの記事です。ここが結論です。具体→抽象です。長々とおつき合いいただいてありがとうございました。
目詰まりも沈殿もひどいのでどんなものが出てくるかは私も皆目見当がつきません。断水後の水道水はえらく澱んでいます。それとたぶん同じです。このアナロジーは合ってます。自分が言うのですから。でも、出さねば腐ります。出せば何かが動きます。
output。