2023/12/26
「今自分はこうなるようになっていて、こうなる事を経験することが出来る」山本周五郎「ながい坂」で出会いの言葉に宗教観のようだが合理的な必然性を覚える。
これ迄の人生も意識して生きてきたようで実際は無意識の力で過ごしてきた。自論の人生は自分が選んだようで人生の方が必然的に自分を選んでた思いがある。
老いて生老病死という必然性に気付くと偶然と思えた事も必然の範囲内と思える。自分史にその必然の出会いを眺めると、ふとこんな思いを詠みたくなる。
〇 老いてこそ 過ぎ行く日々の 貴さよ
切に生きたし 必然の日々