2016.2.10
凡てそう成るようになっていて、今、そう成っていることを
経験している、或いは経験させられている。なお経験すること
が出来る、真実とはそういうものと受けとめたい。
人類は環境の必然性として、個々の人生が集い、家族、社会、
民族、国家、世界へと多様な人間関係を形成している。それが
人類の生存と生活の在り方である。
ここ数日、北朝鮮のミサイル発射問題が世界を騒がせている。
国家の問題のようで実際は、北朝鮮の指導者達の問題であろう。
国家の指導者と国民とは当然同じとは限らない。
だからどうなのか、何の力もない一老年の感想に過ぎないが
部分は全体につながっている、何かが必然性として起るとして
受けとめざるを得ない。
日本を危うくする政治問題も、人類を危うくする原発問題も
すべて必然性として動いている。人間はそれらを無意識に分っ
ていても必然性に向って進まざるを得ない。
だからと言って必然性を肯定観として受けとめることはない、
それでは何も進まないだろう、むしろ必然性に抵抗することも
必然性として受けとめたい。