2016.1.26
仏法では人間を五種類に分けて説いている。それを人間の勉強
として受けとめてきたが、歳を重ねてきて思うに、それは人間とい
うよりむしろ人類の観方ではなかろうかと思える。
人間の勉強は、人間を人間関係そのものとして基本的に肯定観
の範囲が多様にあが、どういう観方であろうと戦争は肯定されるこ
とはない、しかし人類の観方では人類史の必然性の面がある。
この日本も平和が七十年も続くと、戦争につながる有害な人類の
動きを感じる。新聞やテレビで、個々人だけでなく企業人や公人に、
懸念されるニュースがむことなく続いている。
日本の国を危うくする政治の在り方も、人類を危うくする原発問題
を警告する観方も、多分に人智で及ばない人類の必然性を感じる。
それもまた歴史の力なのであろうか。