七夕都知事戦は正に小池vs蓮舫の一騎打ちの様相を呈しているが、小池百合子

と云うと何かと横文字カタカナ語を使い過ぎるが、それで思い出した。

 

以前当ブログに書いた事もあるが、『日本は日本語を放棄して、フランス語を

国語に採用してはどうか』とこんなおバカ提言をしたのが、「暗夜行路

城の崎にて」等の作品で有名な ”小説の神様” 志賀直哉(1883-1971)だ。

終戦翌年、雑誌「改造」にこう書いている。

   

  【  ”小説の神様” と呼ばれた志賀直哉  1883-1971】

 

当方は総合商社勤務時代、フランス語圏に延べ10年程駐在していたのでこの

志賀直哉のフランス語云々』が気になり調べてみた。

 

志賀直哉曰く、『吾々は子供から今の國語に慣され、それ程に感じてゐないが、

日本の國語程、不完全で不便なものはないと思ふその結果、如何に文化の進展が

阻害されてゐたかを考へると、これは是非とも此機會に解決しなければならぬ大きな

問題である。此事なくしては將來の日本が本当の文化國になれる希望はないと云つて

も誇張ではない』と、これが「小説の神様」の言葉なのだから哀しく、そして呆れ

果てる。 言葉を失うのだ。

 

志賀は更に続け『そこで私は此際、日本は思ひ切つて世界中で一番いい言語、一番

美しい言語をとつて、その儘、國語に採用してはどうかと考へてゐる。

それにはフランス語が最も良いのではないかと思ふ。 フランス語を想つたのは、

フランスは文化の進んだ國であり文人逹によつて或る時、整理された言葉ともいふし

さういふ意味でフランス語が一番良ささうな氣がするのである』と書いている。

 

今更言うまでも無く、世界に誇れる源氏物語や、藤原定家の妖艶美の詩歌も、また

近世では歌舞伎日本語文化から生まれたことを志賀は無視するのかな。

  

       【フランス語では藤原定家の詩歌は生まれなかった

 

志賀直哉は三島由紀夫より40歳程年上だが、日本文化論争をして貰いたかった、

だが、既に2人共この世に居ない。