1970年11月三島由紀夫自決直前、親友のドナルド・キーン氏 (Donald Keene
日本文学研究者、2019年96歳没) 宛に、正に遺書とも言うべき手紙を書いていた。
この手紙は三島が直接キーン氏宛に郵送したのではなく、三島の自刃後に、瑤子夫人
から直接手渡されたのだ。 此の手紙には11月とあり日付は書いて無かった。
『前略、小生たうとう名前どほり魅死魔幽鬼夫になりました(中略)小生
は文士としてではなく、武士として死にたいと思ってゐました』 末尾には
『この夏下田へ来て下さった時は、実にうれしく思ひました。小生にとって
の最後の夏でもあり、心の中でお別れを告げつつ、楽しい時を過ごしました』
因みに、三島は毎夏静岡県下田市の東急ホテルで家族と休暇を楽しんでいた。其処に
最後のお別れにキーン氏を招待したのだった。
【1964年の三島由紀夫とドナルド・キーン、 鬼怒鳴門の漢字名は三島の発案】
その翌月9月キーン氏が日本を離れる日、三島は羽田空港に見送りに行っている。
血走った眼で髭も剃っていなかった由、三島は毎晩零時から朝6時迄執筆する習慣
だったからだ。 此れが二人の最後の別れとなった。
【横山郁代著「三島由紀夫の来た夏」、キーン・徳岡共著「悼友紀行」】
(参考文献:悼友紀行/三島由紀夫未発表書簡/三島由紀夫研究年表/
三島由紀夫全集/三島由紀夫の来た夏)