三島由紀夫が自刃する3年前の1967年に出稿した“葉隠入門”に、『戦争中に読み
だして以来、座右の書とした山本常朝の”葉隠”こそ私の文学の母胎である』と書い
ている、そして更に、『初めて”葉隠”が私の中ではっきり固まり、 以後は”葉隠”
を生き、”葉隠”を実践する事に情熱を注ぎだした』と葉隠精神を賞賛している。
【右は1967年9月、光文社から刊行の「葉隠入門」と全集版】
”葉隠”は1700年代初頭、佐賀県鍋島藩藩士、山本常朝が語るところを、若い藩士の
田代陣基が聞書きして『葉隠聞書』編纂した。それが ”鍋島論語” と呼ばれ尊重され
続けてきた。但し、常朝は生前その聞書きを廃棄しろと命じていた。
【佐賀藩士の山本常朝(1659-1719) と剣道五段錬士の三島由紀夫】
興味深いのは、現代にも通じる箇所が随所に出て来る、曰く『今時分の男を見るに、
如何にも女脈にてあるべしと思わるるが多く候。あれは男也と見ゆるは稀なり』
要するに、300年前の事だが、最近は女っぽい男が多くなっている、男らしい男は稀
だとまで言っているのだ。 現代のジェンダーレスやLGBTQのコンセプトが重きを
置かれる時代だが抑々時代は変わっても、男らしさ、女らしさを否定してはいけない
と思う。 性別はあって至極当然の事なのだから。何事もこの ”らしさ” が無くなった
ら悲惨だ、世も末だろう。
『又三十年以来風紀相替はり、若侍ともの出合ひの話に、金銀の噂、損得の
考え、内証事の話、衣装の吟味、色欲の雑談ばかりにて、此の事の無ければ
一座しまぬ様に相聞こえ候。是非亡き風俗に成り行き候』
昔も、若侍同士の会話は変わらず、お金の話、スキャンダルなど噂話、ファッション、
色恋沙汰などが話題の中心だったのだ。
事程左様に、葉隠精神は、正に現代社会にも通用する。