文武両道の硬派文士のイメージの強い三島由紀夫は、実際に葉隠武士大塩平八郎

的な陽明学を実践していた。 しかし以前当ブログで触れた事があるが、三島の日常

生活は実に多彩だった。

      

    【1967年発刊の「葉隠入門」、1969年の「若きサムライのために」

 

半世紀以上前の1966年6月29日午前4時前 ”The Beatles” が羽田空港に降り立った。

5日間滞在し、5回コンサートをした。 三島由紀夫は、公演2日目の武道館に行った。

 

1966年6月29日午前4時に羽田空港に降りったった「The Beatles」

 

そして三島は週刊誌「女性自身」にその時の感想文を寄せている、

      『警備の為場内は照明つけっ放しスポットライトも演出も無しの状態、

開場と同時に感激のあまり泣いている少女、ビートルズが登場すると同時に即座に

最終的興奮段階入る、ちょっと不気味な感動である。 私だって興奮が自分の身に

応えればエレキだろう何だろうと偏見は無い。こう見えても「モンキー・ア・ゴーゴー」

と云う店が出来た時興奮余り一週間ぶっ続けに通った覚えのある私である。 私の

数列後ろの席にはファンの女の子たちに占められていたが、 その一人は時々髪を

掻きむしって前の方に垂れてきた髪の端を噛んでいるがアイラインが流れ出し恨む

如き目をして舞台をジッと眺めている顔はまるでお芝居の累である、 その目が

据わって恍惚感と云うよりも何だか人を呪う様な顔つきで。。。』

 

 

蛇足乍ら三島が1週間通った六本木の  「モンキー・ア・ゴーゴー」  と云う店は、 

当時流行ったゴーゴーダンス専門の、今で云う処のクラブで、 そこにTシャツに

白スラックの三島由紀夫が踊り狂っている写真がある。

事程然様に日本の大文豪は日常生活での守備範囲が広かった