1957年「日本空飛ぶ円盤研究会」(Japan Flying Saucer ResearchAssociation=JFSA)

の機関誌『宇宙機』に寄せたエッセーの冒頭に、『これからいよいよ夏、空飛ぶ円盤の

シーズンです。去年の夏は、熱海ホテルへ双眼鏡も持って行って、毎夜毎夜UFOが着陸

しないものかと、心待ちに覗いていましたが、ついに目撃の機会を得ませんでした』 と。 

     

            【三島由紀夫は本気で空飛ぶ円盤を探していた】

 

UFOを見たいと熱望していた三島由紀夫は、同研究会に入会したのだ。 文壇仲間の

石原慎太郎新田次郎、星新一が会員だった。 他には、「日本の宇宙開発の父」 と

呼ばれた糸川英夫博士、音楽家の黛敏郎徳川夢声など、多く著名人の会員がいた。

        

        【石原慎太郎、そして作曲家の黛敏郎もJFSA会員だった

 

三島は1957年夏の米国旅行の際にもUFOを探し求めた程に本気だったのだ。 そして、

1960年5月23日、三島は妻と東京、大田区の自宅屋上で葉巻型のUFOらしきものを見たと、

当時の雑誌『婦人倶楽部』に連載のエッセーに書いている。

 

其の後1962に発表した長編小説『美しい星』は、円盤を目撃した埼玉県飯能市の4人家族

が自分達は宇宙人「火星人、木星人、水星人、金星人」家族だったと気付くという設定だ。

人類を核戦争などの破壊から救うため平和運動に邁進する宇宙人一家に対し、人類滅亡

を目指す別の宇宙人グループも登場する。

三島のUFOや宇宙人に対する強い関心を表現した物語なのだ。

 

(参考文献:三島由紀夫文学の軌跡/三島由紀夫研究年表/三島由紀夫全集/美しい星)