昭和11年の『2.26事件』に連座して死刑となった明治生まれの国家社会主義者 北一輝
は、自著「国体論」 で君臣一体という天皇と国民精神的な調和を目指した純粋社会主義
の思想体系等により、将校たちの蹶起に影響を与えたと云われた。
【私の書棚中央に置いた本は滝村隆一著 「北一輝、日本の国家社会主義」】
要するに、当時の岡田総理、斎藤内府、高橋蔵相らを 『君側の奸臣軍賊』 と断定し、
彼らを一掃して昭和維新の捨石になるとした訳だ。
【北一輝 新潟の裕福な酒造家に生まれた戦前の思想家(1883-1937)】
そして三島由紀夫は、2.26事件三部作、「憂国」「十日の菊」「英霊の声」を書いた。
しかし、三島は自身の”北一輝論”で、『私は、北一輝の思想に影響を受けたことも無ければ
北一輝によって何ものかに目覚めたこともない。只私が興味を持つ昭和史の諸現象の背景
にはいつも北一輝の支那服着た痩躯が佇んでいた』 と書いている様に、 三島は北一輝の
「国家社会主義理論」には相容れないギャップを感じていた。
其れを裏付ける三島の発言があるのだ、昭和43年5月、林房雄、村松剛との「日本を考える」
のセミナーでの新国家主義に関連して、三島はこう断言したのだ、
『 右翼とは理論でなく感情だ。 』
と発言し、自身の立ち位置を右翼国粋主義とは分離している。
三島は言うなれば”心情的右翼”には辛うじて入るのだ、即ち日本の伝統文化、万世一系の
天皇、武士道、茶道や華道、八百万の神や祭りなどの風習、大和言葉、大和魂等などを大切
にすると云う感情は日本人のDNAに組込まれており、天皇を中心とする歴史、文化、伝統など
重要なのは天皇に拠る『祭祀』にあると云う考え方だ。
三島由紀夫の『右翼とは理論でなく感情だ。』 は、正にその通り、100%納得なのだ。
(参考文献:三島由紀夫全集/三島由紀夫2.26三部作/北一輝 日本の国家社会主義/
憂国の論理/悲しみの琴/三島由紀夫の世界)