88年前の1936年2月26日 二・二六事件が起きた、其の時三島由紀夫は11歳だった。
『二・二六事件の青年将校達の、あの劇烈な歎きに結び付くのは時間の問題であった。
何故なら、
二・二六事件は無意識と意識の間を往復しつつ、此の30年間絶えず私と共にあったからである
』 と、 「二・二六事件と私」 に書いている。【三島由紀夫の監督・主演で、1965年に映画化された『憂国』の一場面】
「憂國」、「十日の菊」そして「英霊の声」を、「二・二六事件三部作」と呼んでいるが、
『もし私の小説を一編だけ読みたいといふ人があったらば、広く読まれた「潮騒」等
よりも、寧ろこの「憂國」一編を読んで貰えば私といふ作家のいい所も悪い所も引っ
括めて分かって貰える様に考えている』 と、 三島由紀夫自身が語っている。
「憂國」は1961年1月の「小説中央公論・冬季号」に発表された短編小説。 しかし此の作品
が意外なのは、 二・二六事件の決起将校達の義挙を讃えたりの政治的背景には触れずに、
至純の愛によって欣然と切腹する青年将校とその妻の最期を描いているだが、その舞台が
二・二六事件となっているのだ。
【2006年4月28日 東宝から発売された『憂国』の永久保存版DVD】
そして、1965年、三島由紀夫自身の製作、脚本、監督、主演によって作られ、
米仏でも上映、特に仏の『ツール映画祭』では好評を博した。
仏語題名は LES RITES DE L’AMOUR ET DE LA MORT (愛と死の儀式)と、された。
(参考文献:三島由紀夫研究年表/三島由紀夫全集/英霊の声/中央公論/
憂國DVD東宝版)