2年前の2月に89歳で逝去の石原慎太郎は、三島由紀夫より7歳若いが同時代を文壇で

生きて来た。  三島は 「石原慎太郎文庫」 などに解説を書いている通り、石原の良き

理解者だった。

      

        【三島由紀夫 44歳、そして石原慎太郎 37歳での対談】   

 

石原が昭和30年 「太陽の季節」 で文壇デビューしたが、三島はこうコメントしている、

氏の独創は、恐らくそう云う生の青春を文壇に提供した事であろう

 

そして、三島は石原と生涯3回対談をしている、最初は1956年、1964年、と1969年だが、

最後の対談に就いては 「尚武のこころ 三島由紀夫対談集」(1970年9月)、それと

石原慎太郎対話集」(1973年1月) そして、三島由紀夫全集に収録されている。

     【三島由紀夫対談集と、大分前に読んだ石原慎太郎の著書

 

尚武のこころ」 には、三島の対談相手は、石原以外に、小汀利得、中山正敏、鶴田浩二、

高橋和己、林房雄、堤清二、野坂昭如、村上一郎、寺山修司と多岐に亘っている。 

三島はあとがきに、 『今回読み返してみて、非常に本質的な重要な対談だと思われたのは

石原慎太郎氏との対談であった。 旧知の仲といふ事にもよるが、相手の懐に飛び込み

乍ら匕首を閃かせて、とことん迄お互いの本質を露呈したこの様な対談は、 私の体験上

極めて稀である

 

この1969年10月の対談で、石原は 『僕は世界の中に守る者は僕しか無いね』と言ったに

対し三島は 『それは君の自我主義でね、いつか目が覚めるでしょうよ』  と過激とも言える

ストイシズムに身を律する三島にとっては、石原のケジメを軽んずる発言には終始苦虫を

噛み潰した表情だった由。

 

そして、三島は石原に対して 『人間が実際、決死の行動をするには、自分が一番大切に

しているものを投げ捨てるという事でなきゃ、出来ないよ。 君の行動原理からは決して

決死の行動は出来ないよ』 と反論している。 

この発言から、1年後に三島由紀夫は自刃した。

 

(参考文献:三島由紀夫全集/尚武のこころ/三島由紀夫研究年表/石原慎太郎対話集)