三島由紀夫の誕生日は1925年(大正14)1月14日生まれなので、生きていれば

今日で99歳、白寿だ。 1924年に30歳の平岡梓と、19歳の橋倭文重が結婚し、 

翌年の今日、平岡公威(三島由紀夫の本名)が、現在の新宿区四谷4-22 で生まれた。

 

学習院中等科時代の三島由紀夫】  【三島由紀夫の父、平岡梓の”倅・三島由紀夫”

 

祖父の定太郎が家族の前で、奉書に 『公威』 と書いた。 命名の由来は、定太郎の

同郷の恩人である土木工学権威の工学博士、古市公威男爵 の名前から頂いたと語られ

ている。

 

祖母の夏が、公威の両親が寝起きしている二階で乳幼児を育てるのは危険だと強引に

母親の手元から離し、階下の祖母の部屋で育てることにし、夏の溺愛を受ける事に

なったのだ。 家族の間では 『コウちゃん』、 但し祖母の夏だけは何故か 『小虎』

と呼んでいた。

 

授乳時間は、夏が正確に4時間毎にベルを鳴らして、母の倭文重を呼び付け10~15分の

授乳時間が過ぎると又、倭文重は二階に戻るのだった

夏は坐骨神経痛の激痛で頻繁にヒステリーを発したとある、この原因は夏の夫、定太郎

の女性関係に原因があったとされている。

 

三島には左眉間に傷があるが、満一歳の正月、祖母が歌舞伎に行き留守中、家中が

鬼の居ぬ間の洗濯と燥いでいる時に、三島は母の居る二階に上ろうとして転げ落ちた。 

祖母の夏が如何に煩い存在か理解出来るエピソードだ。

しかし三島が古典、歌舞伎などに親しむようになったのは夏の影響が大きい

 

三島由紀夫の人生はこんな幼児期からスタートしたのだった。

 

       

    【三島由紀夫の生活の基盤に就いての告白、そして批評を書いている】

 

(参考文献:三島由紀夫全集/倅・三島由紀夫/倅・三島由紀夫 没後/太陽と鉄

        評伝三島由紀夫/三島由紀夫研究/三島由紀夫の世界)