1967年に、三島由紀夫が42歳を目前に(1925年1月14日生まれ)、読売新聞正月版に 

年頭の迷い』 というエッセイを書いている。

        

           【三島由紀夫は剣道5段錬士であり居合道も2段だ】

 

    ”私も40になったら、せめて地球に爪痕を残すだけの仕事をしたいと思って、

     一昨年から四巻物の大長編に取り掛かったが<中略> この長編の完成は

     早く共5年後の筈であるが、その時は私も47歳になっており、此れを完成

     した後は最早華々しい英雄的末路は永久に断念しなければならぬという事だ

     <中略> 西郷隆盛は50歳で英雄として死んだし、 この間熊本に行って

     神風連を調べて感動した事は一見青年の暴挙と見られがちな あの乱の

     指導者の一人で、壮烈な最期を遂げた加屋はるかた が、 私と同年で

     死んだという発見であった。 私も今なら英雄たる最終年齢に間に合

 

           

           【豊饒の海四部作の ”春の雪” は映画化もされた

 

因みに、文中の四巻物の大長編とは、豊饒の海 「春の雪」 「奔馬」 「暁の寺」

そして 「天人五衰」 だが三島本人が言う通り、正に遺作だ。

 

     

            【在りし日の三島由紀夫と親友ドナルド・キーン

 

そして 「春の雪」 の後註に、 「豊饒の海とは、ラテン名なる Mare Foecunditatis の和訳

である」 と解説されている。 しかし此れに関して、親友の ドナルド・キーン(1922-2019)

に、 『豊饒の海とは fertile(=豊饒) を意味するのではなくて、本当は barren(=不毛)

意味するのです』 と説明していたが、 此の説明こそ何を意味するのだろうか。