映画「エデンの東」や「理由なき反抗」に主演した米国の俳優、ジェームス・ディーン
が1955年に自身の運転するクルマの事故で24歳の若さで無くなった。 翌年の1956年
に彼の死に関連して、31歳の三島由紀夫が雑誌 ”映画の友”(1968年廃刊)にエッセイ
を書いている。 其処には「死」に就いて触れているので少し引用する。
【24歳で夭折したジェームス・ディーンに就いて三島が語った】
『 ジェームス・ディーンの死が、只の事故死か自殺かという事は随分騒がれた。
しかし彼が自分の悲劇的な死に ”宿命的な憧憬” を寄せていたに違いない。
そして其れは完全に成功したのである。 私がこんな事を云い出すのは他で
もない。 私自身が少年時代にレイモン・ラディゲの夭折にもの凄く感動し、
自分もラディゲと同じ20歳で死ぬに違いないと確信し、其れ迄にラディゲと
同じ位の傑作を書いて人に惜しまれるに違いないと確信していた時期があった
からだ。 私は完全に思い違いをし、役の取り違えをしていた訳である。
20歳で死んでよい小説家などと言うものが滅多にあって良い筈はない 』
そして三島由紀夫は、ギリシャ神話のアキレウスの逸話に就いてこう書いている、
つまり「名誉なき長寿」と、「名誉に輝く夭折」のどちらかの運命を選ばされた
アキレウスは躊躇なく後者を選んだと。そして三島は続けて、余程散文的な男で
ない限り「名誉に輝く夭折」の人生を選ぶだろうと結んでいる。
しかし、係る仮定の人生問題を出されたら、三島文学を愛好する者としては、
「名誉に輝く長寿」をカウンターして貰いたかったのだが、三島は基本的に
老獪とか老醜を非常に嫌っていたから出来ぬ相談だ。
(引用文献:三島由紀夫全集/三島由紀夫研究年表/私の遍歴時代/芝居日記/
映画の友/対話日本人論/三島由紀夫評論集/芸術新潮)