以前当ブログでも触れたが昭和43年、川端康成がノーベル文学賞を受賞した際に、
文学界では、どうして三島由紀夫ではなかったのか、との疑問の声が上った。
【川端のノーベル賞受賞祝いに駆け付けた三島由紀夫】
スウェーデンのノーベル賞委員会では早い時期から文学賞候補者として三島由紀夫と
川端康成の2人を挙げていた。しかし委員会の中に日本文学の専門家が居なかった為、
当時の日本ペンクラブ大会に出席したスウェーデンの選考委員(文学者)が最終選考
することになった。 その文学者は、ドナルド・キーン訳の 「宴のあと」 しか読ん
でいなかった。
そして、その内容が都知事選に革新統一候補として立候補し落選した実在の元外相、
有田八郎を題材とした所謂モデル小説、勿論主人公は仮名だが、この小説により有田
がプライバシーを侵害されたとして提訴した。
【『宴のあと』に係わるプライバシー裁判に出廷した三島由紀夫、昭和37年5月】
【三島由紀夫をプライバシー裁判で訴えた有田八郎】
これをウェーデンの選考委員は、裁判になった程だから三島は過激な左翼の小説家に
違いないと誤解。 一方、川端康成は穏健な静的な日本の美さを描いているから、と
最終選考したもの。 当時英国とカナダの新聞には 『川端康成は日本の文壇の長老
だから選ばれた』 とコメントした。
選考委員が、三島由紀夫を右翼的と云うなら未だしも、真逆の左翼だと誤解した致命的
なミスを犯したのだ。 無論、三島は右翼と云うカテゴリーの文学者ではないのだが。
歴史に ”IF” は無い訳だが、選考委員が三島の代表作でもない「宴のあと」しか読んで
いなかったのは大問題だが、少なくとも 「金閣寺」や「春の雪」等を読んでいたら
ノーベル文学賞は三島由紀夫が受賞していただろう。