ドナルド・キーン (Donald Keene、1922-2019年)は、2008年に文化勲章受章。  米国生まれの

日本文学研究家、コロンビア大学名誉教授、彼は真珠湾攻撃から間もない1942年、

カリフォルニア大学バークレー校の海軍語学校に志願、その後キーンは海軍情報士官として

ハワイの海軍翻訳局に赴任した。

        

    【1964年虎ノ門の 福田屋での対談】 中央公論新社提供   

 

三島由紀夫とは1954年に知り合って以来親交を深めていった。 ドナルド・キーンの当て字で

怒鳴門鬼韻」 は三島が彼宛の手紙に書いたもの。  三島の葬儀には、 自らの翻訳の

仮名手本忠臣蔵』 の翻訳本を祭壇に供えさせて貰った。 最初キーンは弔事を読むことも引受

けたが、 三島の市ヶ谷での行動を擁護している様に捉えられるとの友人の説得により葬式には

欠席、 後に何度も其れを悔やんだ。 キーンは 「天才はそんなにいるものではありません。

僕の知っている天才はウェイリー先生と三島由紀夫さんだけです」 と語っている。

(因みにアーサー・ウェイリーは英国の東洋学者で源氏物語枕草子を世界で初めて英訳した)

 

三島はキーンの著書『日本の文学』の解説に、『詩人の魂を以て書かれた日本文学入門で、

学問的に精細な類書は出る事があっても、これ以上に美しい本が出ることは、ちょっと考えら

れない』 と絶賛している。  そして三島は自刃前に、キーンに 『豊饒の海』全4巻 の翻訳を依頼

していた。

 

         

      【右端は、三島由紀夫とキーン間の未発表書簡97通、1998年5月発刊】

 

三島由紀夫のもう一人の友人、徳岡孝夫(元毎日新聞記者)とキーンの共著 『悼友紀行』 が

1973年7月に出版されている。  徳岡は、三島から 『傍目には如何に狂気の沙汰に見えよう

とも….. 』 との最後の手紙と共に自決の”檄文”のコピーを託された御仁だ。

 

矢張り名作家の周りには各分野の数々の優秀な御仁が集まるのでした。