昨日89歳で逝去の石原慎太郎は、三島由紀夫より7歳若いが同時代を文壇で生きて来た。 

そして三島は"石原慎太郎文庫"などの解説を担当している通り、当初から石原の良き理解者

だった。 昭和30年 ”太陽の季節” でデビューした石原を、三島は 『氏の独創は、恐らくさう云う

生の青春を文壇に提供した事であらう』 とコメントしている。

   

               

                      【三島由紀夫 44歳、 石原慎太郎 37歳】 昭和44年撮影

 

三島は石原と生涯3回対談をしている、最初は昭和31年、39年、そして44年、最後の対談は、

昭和45年9月発行 『尚武のこころ 三島由紀夫対談集』 と、 昭和48年1月発行 『石原慎太郎

対話集』 と、『三島由紀夫全集』 に収録されている。

 

          

            【過去に読んだ石原慎太郎の著書だが.............合掌

 

尚武のこころ』には、三島の対談相手は、石原以外に、小汀利得、中山正敏、鶴田浩二、

高橋和己、林房雄、堤清二、野坂昭如、村上一郎、寺山修司と多岐に亘っている。

三島はあとがきに、『今回読み返してみて、非常に本質的な重要な対談だと思われたのは、

石原慎太郎氏との対談であった。 旧知の仲といふ事にもよるが、相手の懐に飛び込み乍ら、

匕首を閃かせて、とことん迄お互いの本質を露呈したこの様な対談は、私の体験上も極めて

稀である。』  一方、石原慎太郎対話集のあとがきに、石原は 『この対談は、私一人しか持ち得ぬ

三島由紀夫と云う実像の秘められた陰画に違いない』 と書いている。

 

この昭和44年10月の対談で、石原は 『僕は世界の中に守る者は僕しか無いね』 と言ったに対し

三島は 『それは君の自我主義でね、いつか目が覚めるでしょうよ 』 と釘を刺した。

過激とも言えるストイシズムに身を律する三島にとっては、石原のケジメを軽んずる発言には

終始苦虫を噛み潰した表情だった由。

 

そして、三島は石原に対して 『人間が実際、決死の行動をするには、自分が一番大切にして

いるものを投げ捨てるという事でなきゃ、出来ないよ。 君の行動原理からは決して決死の

行動は出来ないよ』 と反論している。 この発言から約1年後に三島由紀夫は自刃したのだ。

 

(参考文献:三島由紀夫全集/尚武のこころ/三島由紀夫研究年表/石原慎太郎対話集/)