三島由紀夫より13歳年下の女優村松英子(82)は正に、三島が手塩に掛けて育て上げた女優と
云っても過言ではない。彼女は、フランス文学者、文芸評論家として著名な、9歳違いの兄、村松剛
(平成6年65歳没)の妹だが、36歳の三島が英子と出会った時彼女は23歳で文学座の楽屋当番をし
ていた時だった。 三島の母、倭文重は英子の母の小学校の先輩。そして三島の妻瑤子は英子の
小学校から大学(日本女子大)までの先輩なのだ。勿論三島は文芸評論家の村松剛とは親交があり
幾つもの縁が重なり三島と村松家は家族ぐるみの付き合いだった。
【在りし日の三島由紀夫と村松英子】
英子は文学座の『女の一生』では杉村春子(平成9年91歳没)の娘役をやり、昭和38年NHK連続
テレビ小説『あかつき』にもレギュラー出演するなど、杉村春子の後継者として期待されていた。
そして英子の初めての三島戯曲は『班女』のヒロイン役、相手役には中山仁(令和元年77歳没)
だった、初演を終えた日に三島はカトレアの花束を劇場に持参、英子に贈った。その後も英子は
順調に、NHK連続ドラマ『波の塔』のヒロインや、大河ドラマ『徳川家康』では家康の生母を演じた。
三島戯曲では、『鹿鳴館』や『朱雀家の滅亡』、『サド侯爵夫人』 などで三島の指導を受けながら
メインキャストを演じた。
この年には三島の「楯の会」結成一周年記念パレードが挙行され村松剛と英子が兄妹で参列し、
他には近衛忠輝や堤清二らも出席していた。
そして三島自決の1ヶ月前の昭和45年10月には浪漫劇場の『薔薇と海賊』を英子と中山仁が演じて
いる。 初日の幕が下りた時、三島は村松英子に「英子、素晴らしかったよ、有難う」と、しみじみと
自分自身か噛みしめる様な口調で言ったのだった。
昭和46年2月24日築地本願寺での三島の葬儀では川端康成(昭和47年72歳自殺)葬儀委員長
で1万人近い一般参列者だった、英子は演劇界を代表して弔辞を読んだ。
(参考文献:三島由紀夫研究年表/季刊文化/雑誌正論/三島由紀夫追想のうた/
三島由紀夫が愛した美女達/)