人は初対面の相手をどう判断するか、80%以上の人が外見によるイメージだと云われているが仕方

のない事だ。言う迄も無いが、人は外見ではない中身が大切だ、心の持ち方だとは至極当り前だが、

初回は先ず,目から情報が入るのだから外見も如何に大切か。 

これは武士の嗜みにも通じることなのだ

 

江戸時代、佐賀県鍋島藩に伝わる葉隠武士の生活指南書 「葉隠聞書」には、

武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」が余りにも有名だが、一方、外面的道徳としての男性美学

に就いて『男子は恭しく、苦みありて、調子静かなるが良し』、うやうやしくとは人を信頼させ、

慎み深く謙遜する態度、苦みとは威厳、そしてこの相反する二つを含む外見が調子静か、即ち寡黙

でものに動じない落着きの態度が本当の武士には要求されると説いているのだ。

 

そして又 『風体の修行は不断 鏡を見て直したるが良し』 と云ってる、鏡は女にとって化粧道具

だが男にとっての鏡は自分を注視し 「顔付仕直し申すべし」 反省の道具と捉えている訳だ。

このことはつい先日亡くなった渡哲也や、そして鶴田浩二高倉健のイメージにも共通

しているのではないか、事程左様に男も外見を重要視しないといけないのだ。

しかし、究極は人間性に帰着する訳だが。

 

蛇足乍ら、昭和45年11月25日三島由紀夫と楯の会の森田必勝等4人が市谷の自衛隊駐屯地に

向かう車中皆で高倉健の 『唐獅子牡丹』 を歌ったのだと、残された小賀隊員が後に語っている。

それこそdesperateな気持ちで合唱したのだろう。

 

(参考文献:葉隠入門/三島由紀夫研究年表)