三島と親交の深かった故ドナルド・キーンが述懐しているのだが、三島が自決する2ヶ月前
の昭和45年9月に、三島と2人で六本木の本屋に入った際、“豊饒の海”四部作の一つ
「暁の寺」の大きな広告が店内に張り出されていたのだが、それを見て、三島はとても喜んだ
、一方で「実は此の本の書評が一つも出ていない」と寂しそうでした、と。
キーンによれば日本ほど文芸雑誌の多い国は無い由だが、高名な作家である三島の大作に
就いての書評が無いのは何故なのか、と疑問に思ったキーン曰く、要するに数多居る文芸
評論家たちは皆、三島ほどの文豪の作品の批評を書くのは畏れ多く、且つ批評家自身の
力量にも係わってくるので滅多な事は書けないと云う訳、
成程と御尤もと、納得したものでした!
(参考文献:悼友紀行)