今から1世紀以上前に、米国の宣教師、A.H Smith(1845-1932)が中国での宣教活動後に
『支那人の特性』(1890年刊) という本を書いている。 そこに中国人の民族性の特徴に
就いて書かれているのがとても興味深いのだ、 曰く 『支那人には、公共心欠落/時間
の観念欠如/正確性と緻密さが無い/言辞婉曲/面従腹背/無神経/他人への思い遣り
が無い/面子重視/無責任/疑心暗鬼/不誠実 等々。
現在も変わっていないのは哀れだが其れが正に中国人なのだろう。
以前にも触れた事があるが、我国では江戸時代の国学者、賀茂真淵が中国に就いて、
『唐国は殊に人の心の悪しき国にして、邪しまにのみある』と書いている。
そして「枕草子」などに書かれている、「もののあわれ」「わび」「さび」の文化が我国
にはある又、神道では全てのモノに神が宿るという「八百万の神」迄である。
処が、中国人には此れ等の心が欠如している、例えば中国人が草木や花を見た場合、
花を愛でるのではなく先ず、“これは食べられるのか?” 或は“何かに使えるか?”
と云われている。だから我々の「お花見」や「お月見」等は理解出来ないのは当然だ。
兎に角日本の愚策のインバウンド政策によるオーバーツーリズムの弊害、特に中国人
の犯罪が目立つ、京都など観光地での傍若無人な言動や、新幹線車内で予約席を奪う、
ホテルでの狼藉、交通事故や違反、サイバー攻撃等々挙げればキリが無い。
習近平が『日本への渡航自粛』を打ち出しているが、『渡航禁止』にして貰いたい。
因みに、私は返還前の香港に商社駐在員として赴任していたので、実感したのだが、
中国人は元来の香港人(香港居民)にも『大陸人』と呼ばれ嫌われているのだから
何をか況やなのだ。
氷山の一角だが、山梨・静岡県では富士山の写真を撮る為に、私有地に侵入したり、
迷惑駐車や、ゴミのポイ捨て等の外国人観光客が地元民の日常生活の邪魔をしている。
それが為に『富士山が無くなれば良いのだが』 と投げ槍的に語る住民もいる位の惨状
なのだ。 厳格な外人政策の見直しが急務だ。
(画像はYahoo!から転載)




















