皆様 こんにちは~
埼玉県越谷市で
アクセスバーズのお店をしています。
あっゆです。
母が残した『美容室』の場所で
アクセスバーズをご提供しています。
以前、母と姉が美容室を経営していました。
後半は80歳間近な母が、一人でお馴染みさんを相手に美容師をしていたので
今までのスペースを半分にして
半分はお茶ができるスペースにしました。
お陰でアクセスバーズをご提供するには
丁度よいスペースになっています。
ちょうど‥10年前の春
70代で現役美容師だった母が
風邪を拗らせ倒れました。
それに気付いたのが、既に夜10時を過ぎた頃でした。
救急車は直ぐに来てくれたものの
搬送先が決まらずに、長い時間家の前で待機する事となったのを覚えています。
結局、夜中になって搬送され搬送先の若い看護師さんには、明らかにダルそうな態度をされました。
まだその時は、直ぐに治療してもらい直ぐに帰って来る軽い気持ちでしたが‥
『肺炎』との診断で特別治療室へ入り
水さえもドクターストップになってしまったのです。
え‥何?これ?
母の意識は、はっきりしていましたが
声が出なくなっていました。
母に水を求められましたが、
ここで飲ませて誤嚥して死んでしまったらどうしようと考えた末
ドクターに従い水を渡しませんでした。
意識はハッキリしているのに、苦しそうな様子をみているのが辛くて、看護師さんに任せて、席をはずしたり‥
本当に何も考えられない状態が続きました。
疲れて、疲れて‥
付き添いの合間に何度かマッサージにも行きましたが、全然改善することは無くえたいの知れない疲労感が付きまといました。
太陽の様な元気な母が、こんなに苦しんでいるなんて‥だったらいっそ‥などと考えたり‥
言葉にできない脳疲労が続きました。
今何をしたら良いのかすら分からないほど毎日が疲れていました。
一週間後、母は帰らぬ人となりました。
私が強引に連れて帰っていたら‥
水を飲ませていたら‥
後悔ばかりが頭の中をグルグル駆け巡り
無力感が襲ってきました。
何も考えられなかった‥
誰に何を相談すれば良いのかも分からずに‥
現実を受け止められませんでした。
心を麻痺させるしかなかった。
泣くことすらできませんでした。
10年前を振り返って、その時にアクセスバーズと出会っていたらなぁ、と思います。
多分‥母は亡くなっても
私の心は、違う展開になっていたと思うのです。
愛する人が、この現実から居なくなる‥
お母さ~ん 寂しいよ~。
10年が経ち
この場所でアクセスバーズを仕事にするなんて思ってもいなかった。
ずーっとそのまま手付かずになっていた
美容の材料や薬品も全部片付けて
今はスッキリしました。
私の心も今は軽やかに楽しんでいます。
自由を感じられています。
そしてアクセスバーズを仕事にして
3年が経ちました。
今は新たな目標も見えています