・・・紫陽花の美しく咲き誇る様子に、足を止めて見惚れる季節がやってきました。
皆様、こんにちは。倭姫プロジェクトのMIKIです。
昨日、人形町の小網神社に行ってきました。
戦火を凌いで焼け落ちずに残った神社との評判で、銭洗いもできるということで大人気の神社です。
小雨模様にも関わらずたくさんの参拝客で行列が出来ていました。
着物でお出かけする先は神社仏閣が多いです。
着物に似合う風景がそこにあるからです。
境内、社殿、お庭・・・etc。
初めての小網神社もそのような場所かと想像しておりましたが、あら?違う。
道路から賽銭箱まで5人の人が1列に並んだら最後尾の人は車道に立つことになるほどの狭さ。
ですが、この狭さに畏怖堂々たる社殿が建っていることで、詣でる人の小網神社への信頼がむしろ強く伝わってきました。
長い歴史の中で、人知を超えた神ならではの仕業を見せてきたからこそ、詣でる人の信頼を集め、このような立派な社殿となったのだな・・・
友人たちと連れ立って詣でたこの日、私は綿着物に紫陽花柄の麻の帯を選びました。
かつて祖母から受け継いだ着物を少しずつ処分し、正装用の着物と自分なりにコーディネートしやすい着物だけを残し、ここ数年はリサイクル着物でも好みのものがあれば買いそろえるようになりました。
帯、帯締め、帯揚げ、髪飾り・・・
着物のコーディネートは楽しいです。
出先と目的に合わせてコーディネートする時間は、悩みながらも夢中になっている私がいます。
着物を着始めて何十年。
ですが、そんな楽しいコーディネートの時間を通しても、しっくりいくコーディネートに仕上げるにはまだまだ力不足。
着姿って、目的や年齢やルールで着る程度では完成されないのではないでしょうか?
着る人の中に宿る「深淵なる何か」が着物姿に現れてこないと、とっかえひっかえ着てはまた今年もあれこれ買い続けるという、いわゆる「着物沼」になっていくのかもしれません。
何かが違う・・・もっと・・・という具合に。
毎年その季節になると引っ張り出しては着る、まるで自分の分身のようなお気に入りの着物と帯があるくらいでないと、ただのファッションになってしまい、体に沿い心に沿わせることはできないのかもしれません。
そう。
数を持つのではなく、同じものをどう着こなすか・・・
小物を変えるだけでなく、どんなふうに腹を括って着こなせるか。
そんなことが頭をよぎりながら詣でた小網神社。
何かが腑に落ちました。
小網神社の佇まいに一遍の詩を思い出したのです。
今日はそんな物語です・・・
あなたはだんだんきれいになる
これは私の愛読書である高村光太郎の「智恵子抄」の一遍です。
をんなが付属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない
中身ばかりの清冽な生きものが
生きて動いてさつさつと意欲する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修行によるのか。
あなたが黙って立ってゐると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。
もうこれ以上、何をかいわんや・・・です。
何十枚もの着物を所有するのもその人の自由。
どんなコーディネートをするかもそれぞれの自由。
けれどもそこにどれだけの物語が、人の心を動かす物語があるのでしょう。
シトシトと降る雨が紫陽花を濡らす日に一人の高校生が一枚の着物を買いに古着屋へ現れました。
「着物を着るとなんだか心が落ち着いて、とても癒されるので
お小遣いを少しづつ貯めて2万円ほど貯まったら
その金額で買える着物を買うことにしているんです。
なので帯も小物も含めたら1年に一度、買えればいい方です。
まだ袷の着物2枚しか持っていません。帯は名古屋帯が一本・・
いいえ、お茶もお花も、習い事はしていませんし、今後もそのような習い事に時間を割くつもりはありません。
私はただ着物を着ることが好きなんです」
何かを決心したかのように語る女子高生。
若いのに既に腹を括っている・・・。
これでもか、これでもかのファッションショーには目もくれず、着物世界の内側に数歩入って凛と立つ一人の女子高生。
懸命に貯めたお小遣いで買った古着の着物は
いつか自然と体に沿って心に沿って
本物の内なる輝きと深淵なるものによって
美しく輝く彼女の横顔を、静かに優しく照らし続けることでしょう。
小さな狭い境内の奥には、ずっしりとした荘厳さで人々を迎え入れる「信頼に十分値する」社殿がある・・・そんな小網神社のように、彼女もその人間性の強さと深さを携えて、着物と共にゆるぎない人生の社殿を建てていくことでしょう。
彼女が「だんだんきれいになる」姿が見えました。
着物にはいつも物語があります。
本日はこの辺で。
ご訪問ありがとうございました。



