写真は両国・回向院の「見ざる聞かざる言わざる]です。

 

皆様、こんにちは。倭姫プロジェクトのMIKIです。

雨模様が続くせいか、あっという間に涼しくなった東京地方です。

 

先週、曇天の中、両国に出向きました。

本来は小江戸川越に行く予定の日だったのですが、現地の天気予報が午後2時~4時まで雷雨。

さすがに小江戸の町を楽しむ天候ではないということで、同行者と相談。

急遽、両国ということになりました。

 

もうだいぶ前に行ったきりの両国。

ほぼ記憶にない街でしたが、行ってみて大正解!

 

まずは関脇・寺尾のちゃんこ鍋屋でちゃんこ鍋ランチ。

こちら、4種類の味から好きなものを選べます。

3人だったので「塩」「味噌」「醤油」にしました。→満足度100点!!

 

両国の駅はお相撲さんの写真や手形で相撲のミニ博物館状態。

ガラスに映りこんだ天井ライトが、まるで天使の羽根のようで嬉しさ倍増!

すぐ近くの回向院には鼠小僧治郎吉のお墓が。

ここ、凄く神秘的な場所でした。

東京にありがちな「観光スポット寺社」といった風情はなく、歴史の中に消えていったたくさんの人の御霊が、未だそこにあるかのようでした。

空気が違います。

目の前にちゃんこ鍋屋が立ち並ぶ街の中にあるとは思えません。

 

さて、本チャン!

3月にリニューアルした「江戸東京博物館」です。

 

んも~!

このところ江戸時代の生活に傾倒しているワタクシ。

小江戸川越で江戸体験と思っていましたが、神様は小江戸ではなく大江戸に連れてきてくれました!

博物館内のジオラマは圧巻!

ひとつのジオラマに1000体以上はあろうかという、3センチ程度の人形で再現された江戸時代の町民が本当に生きて動いているかのようで感激!

もう、一個一個説明できないので写真を数枚貼り付けます!

タイムスリップして住んでみたいなあ、江戸の町。

とーっても小さいのに生き生きしてます。

帯の結び方や着物の柄もそれぞれ違っていて、思わず見入ってしまいます。

江戸後期の着物に見えますね。

見世物小屋の外の寿司屋。

この時代は現代よりも不便だったはずなのに、いえ、不便だったからこそ生活がシンプル。商売もシンプル。

 

江戸時代。

憧れます。

銭形平次、連続ドラマでもう一度放映して欲しいです。

 

さ、そんな江戸時代に心が飛んでいる私。

今日の物語は江戸時代の生活にもあったゆとり生活「余白」と着物。

 

美が住まう「余白」という場所

ずっと前、ある着物友達が言いました。

「MIKIさんはどうして着物が好きなの?}

「う~ん。うまく言えないけど、着物を着ると風景が変わる気がしない?より一層、美しく見えるでしょ?その瞬間が好きだからかな」

「へえ、そうなんだ。私はね、他人に見せたくて着るのよ」

 

着物を着たら綺麗と言って欲しい。

特にお気に入りの着物に身を包んだ時には、そりゃあ沢山の人に褒めてもらいたい。

だって、着物を着ると風景だけでなく自分までも美しくなったように感じるから。

心だって急に美人さんになった気がするから。

 

そんな彼女のコーディネートは私とはかなり違います。

私は正統派気味。

彼女はアレンジ派。

でも・・・彼女も私も着物姿を「綺麗」と褒められた時は嬉しい・・・そこは同じなんだよな・・・

 

これは着物を頻繁に着るようになってから数十年、ずっと私の中にあった疑問でした。

私の場合、コルセットを帯代わりにするのは似合わない・・

ブーツを合わせるのも全く似合わない・・

多分、私の雰囲気が古典なんだろうなあ・・・

そういえば「あなたが着ると、着物はどれでも余所行きのおべべになるのね」と、着物の大先輩から言われたことがあったなあ・・・

じゃあ、私にとって絶対に譲れない「着物の魅力」って何だろう?

 

そんなある日、とあるお寺の山門脇に書かれた「今月の言葉」にハッとなりました。

 

「 余 白 」

 

それこそが私が絶対に譲れない「着物の魅力」だと気付きました。

 

豪華な振袖には全体に描かれた花鳥風月があります。

かわいらしい小紋も総柄です。

 

でも、何故かどの着物にもちゃんと余白があります。

一枚の着物に殺し合わないように描かれた柄はまさしく余白の美であり、空気感を滲ませた色合いや、チラリと見える白襟や足袋も余白が見せてくれる美。

江戸時代の武家の奥方が着ていた打掛はみっしりと描かれた柄でありながら、自然界の草花を切り取ったもので、全てを描き切らない一種の余白があります。

 

この余白こそ着物の柄に奥行(時空)を感じさせる源であり、人の心を引き留める力なのではないでしょうか。

例えば紅葉で埋め尽くされた柄の奥に山水が描かれているとします。

この山水と手前の紅葉との間には道が描かれていない。

日本画に見られる描き方です。

ところが、この余白の中に人はちゃんと道を見るし、そこを歩く人を見る・・・

見る人の心の目で見ている・・・風や温度も感じ取る・・・

 

西洋の画家、特にゴッホやセザンヌ、ルノアールといった印象派の画家が描こうとして躍起となったのは、まさしくこの余白の美なのです。

 

予定で埋め尽くされたスケジュール表。

時間によるコントロールで息苦しさを感じる生活。

人や物で埋め尽くされた「隙間のない街」。

気が付けば、昨日何を食べたかさえも思い出せない日々。

 

そんな余白のない世界から一歩入って、もはや異次元と言われつつも、人のあるべき姿を映し出す古の生活を想像してみました。

・・・たとえば江戸時代。

「余白の美」はかつて、生活や文化のあらゆるところに存在し、人の心を和らげていてくれたはずです。

 

それが着物の世界にはまだあります。

 

私の着物好きは美の住まう場所である「余白」という異次元に惹かれるからなのです。

江戸時代の生活に惹かれるのも、それが「美しい余白」が存在した時代だったからなのかもしれません。

 

着物の美は余白の美。

心の余白に風流を取り込む入り口なのです。

 

ところで、この芸者風情の女性。

何を占ってもらっているのでしょうね。

道行く人もそれぞれのことに夢中で、江戸の時代は「余白」だらけ。

でも、この写真の中に、ちょっと入りこんでみたくはありませんか?

 

本日も長くなりました。

お読みいただきありがとうございます。

着物にはいつでも物語があります。

皆様の物語を、どうぞ大切になさってください。

 

またのご訪問をお待ちしております。