
光がふわーって上にむかっていた
訃報をきいて、一瞬どうしていいのかわからなくて、おもわず窓辺にいったら、こんなきれいな空でした。
いまは楽になって気持ちいい光のなかにいるんだ、と、この空が思わせてくれた。
「おばちゃん、ありがとう」と光にむかって手を合わせて、お別れをしました。どうか気持ちが伝わりますように。とてもきれいなお顔をされていたと今朝聞いて、安心しました。
きっといま、おばちゃんのたましいは幸せなんじゃないかな。そう祈っています。
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人は死んだらどうなるのかって、自分なりに思ってることがあります。
4年前、ゴンタくんの叔母さんが不慮の事故で亡くなったとき、
私はその死をどうしても受け入れることができなくて
まだ3回しか会ったことがなかったのにお通夜から告別式までずーっと泣き通しで(ゴンタくんのことを小さい頃からとてもかわいがってくれた叔母さんでした)
それが、火葬が終わってお骨をみた瞬間、ふと気づいたんです。
おばちゃん、自然にかえったんだ。きっと、おばちゃんとしてやることは終わって、次のステージにいくってことなんだ。また、すがたを変えて自然のなかから生まれてくるんだ
骨って、「自然そのもの」としかいいようがないんですよね。 それでそう思ったのかも。
「おばちゃん」としてのお姿を見ているうちは、「なんで突然こんなことに、ひどい。おばちゃんがかわいそう」という思いから抜け出せなかったのですが、
自然に帰ったんだ(やってきたところに帰ったんだ)
と感じたことで、なにか腑に落ちて、涙がとまりました。
かわいそう、なんじゃなくて、帰る時がきたから帰って、ちょっとおやすみして次にやることの準備するんだ(文字どおり「旅立ち」なんだ)って、まあ自分自身を納得させるためにひねりだしたところもあるけど、直感的にそう思ったことで救われた。
がーちゃんが天国に行ったとき(★)も、「さみしい」というのは私の都合で(顔がみれない、さわれない、 にゃーって声がきけないとか、甘えてもらえない、抱っこできないとか、、うえーん)がーちゃんにとっては必要なことなんだ、がーちゃんはかわいそうなんじゃない。
そう思って、悲しみを紛らわせていたように思います。
4年前にもらってずーっと読む気にならなかったのに、いま手にとった瞬間読みたくなった本(お片づけはこの本に呼ばれたのかなと書いた本)は、エリザベス・キューブラー・ロス博士の「人生は廻る輪のように」という自伝です(けっこうヘビー) 。
これを読んだとき、4年前の3月、おばさんのお骨をみて感じたことは、間違ってなかったのかなーと思いました。
そういえば、2008年は大変なこともあった年でした。 でも、起こったことはすべて意味のあることだったと振りかえって思います。少しは成長したかもしれないな

一年を振りかえって(2008年の大晦日の記事)
<読んでくれていることを祈りつつ私信>
眠れない日が続くとき、呼吸をととのえるのはどうでしょうか?「呼吸の本」 (谷川俊太郎 /加藤俊朗 著)がちょっと気になっていて、眠れない時にもいいのではとふと思ったので。実践できるCDがついてます☆